\―その怪雲は明らかに不可解だ。と同時に、雲湖とチベット人がいい、墓海と蒙古人がいうわけも、読者諸君にのみ込めたことだろうと思う。
じっさい、裾《すそ》はるかを遊牧する土民中の古老でさえ、その主峰の姿をいまだに見たものはない。したがって、高さも一体どのくらいなのか分らず、あるいは、そこには山がなく雲だけではないのか?![#「?!」は横一列] それとも、エヴェレストを抜く三万フィート級の、世界第一の高峰が知られずに隠れているのではないかと……いま世界学界の注視と臆測をいっせいに浴びているこの大氷巓は、またラマ僧が夢想するユートピアの所在地だ。
かの大雲塊でさえ容易ならぬことだのに、時偶、姿をあらわす外輪四山の山巓が、それぞれちがった色の綺《き》らびやかな彩光をはなつのだ。すなわち、紅蓮峰《リム・ボー・チェ》は紅にひかり、さらに、白蓮、青蓮、黄蓮と彩光どおりの名が、それぞれの峰につけられている。でここに「絵入ロンドン・ニュース」の短文ではあるが、第一回「天母生上の雲湖《ハーモ・サムバ・チョウ》[#ルビは「天母生上の雲湖」にかかる]」探検記を隊長ダネックが寄せたなかから、彩光に関する部分を抜きだして掲げてみよう。
――この霞《かす》んだ空のひかりと淡い曇りをさして、この地方の土民は晴天だといっている。それほど、碧《あお》い空と陽のひかりは滅多《めった》に訪れてこない。私たちはいま、ここが人界の終点だろうと思うバダジャッカの喇嘛《らま》寺で、いまに現われるという彩光をみようとしている。
やがて、頬をさすような冷たい霧が消えたむこうに、まるで岬をみるような山|襞《ひだ》が隠見しはじめ、と思うまに、はるかな雲層をやぶって霧が峰《ネーベル・ホルン》[#ルビは「霧が峰」にかかる]とでもいいたいような、ぼやっと白けた角のような峰があらわれた。私が、かたわらの高僧《ギクー》にあれですかと聴くと、いいえと、銅びかりのしたその老人は首をふった。その峰は、ここが海抜約一万六千フィートとすれば、おそらくそれを抜くこと八千フィートあまりだろう。私はそこで、首の仰角をさらにたかめて空をみた。
まもなく、よもやそこにと思われる中空の雲のあいだから、ぬうっと突きでた深紅の絶巓――。おう、まだ地球が秘めている不思議の一つと思うまに、その紅《くれない》の峰は瞬《またた》くまに姿を消した。とそこ
前へ
次へ
全27ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング