ニともに濃くなってゆく。蟇《がま》と蟋蟀《こおろぎ》が鳴くもの憂いなかで、ときどき鬣狗《ハイエナ》がとおい森で吠《ほ》えている。その、森閑の夜がこの世の最後かと思うと、誰一人口をきくものもない。ときどき君が言いだしたばかりにこんな目に逢ったのだと、ヤンが座間を恨めしげに見るだけであった。
 と時が経って暁がたがちかいころ、座間にとっては思いがけぬ事件が降って湧《わ》いた。一見大して奇もないようだったが、重大な意味があった。それはとつぜん、マヌエラが気懶《けだる》そうな声で、なにやら独《ひと》り言のようなものをドイツ語で言いはじめたのであった。
「明日、牝《めす》をのぞいた残りを全部|殺《や》るというんだ。人道的な方法というからには、アカスガの毒を使うだろう」
 驚いたことに、男のような言葉だ。調子も、抑揚がなく朗読のようである。そして、これがなかでもいちばん奇怪なことだが、いまマヌエラが喋《しゃべ》っているドイツ語を、当の本人が少しも知らないのである。知らない外国語を流暢《りゅうちょう》に喋る――そんなことがと、一時は耳を疑いながらまえへ廻って、座間はマヌエラをじっと見つめはじめた。
「マヌエラ、どうしたんだ、確《しっ》かりおし!」
 しかしマヌエラの目は、狂わしげなものを映してぎょろりと据《すわ》っている。ひょっとすると心痛のあまり気が可怪《おか》しくなったのかもしれない。その間も、なおも譫言《うわごと》は続いてゆく。
「逃げやしないかな」
「大丈夫、武器は取りあげてないから、まさかと思っているだろう。第一、石階《いしばし》には番人がいるし……そこを逃げても、マコンデ方面は網目のようだからな」
 こうした気味の悪い独語が杜絶えると、闇の鬼気が、死の刻がせまるなかでマヌエラだけをつつんでしまう。彼女は、ちょっと間を置くとまたはじめた。
「水牛小屋の地下道は分りっこねえんだ。何時だ? 三時だとすりゃ、あと二時間だが」
 一体マヌエラは誰の言葉を真似ているのだろう? 座間は微動だもせず冷静な目で、じっとマヌエラをながめていたが、思わず……この時首をふった。すると、おなじようにマヌエラも首を振る。ハッとした座間が今度は試みに唇をとがらした。とまた、マヌエラがおなじ動作を繰りかえす。とたんに、座間はわッとマヌエラを抱きしめた。やがて、むせび泣きとともに二人の頬の合せ目を、涙
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