イタリー》軍を破ったことがあった。その後も、一八六六年にはクリストッツァの戦いで勝ち、海軍もまた、リッサ島の海戦と伊太利艦隊を破った! しかも、今次の大戦においても、どうであろうか。じつに、わが国は伊太利軍には一度も敗れたことはないのである。その歴史的信念を忘れ、決戦に怯気《おじけ》だった、軍主脳部こそは千|叱《だ》の鞭《むち》をうけねばならぬ。
この、マリア・テレジヤ騎士団の集会でおこなった演説を最後に、フォン・エッセンは二度と怒号しようとはしなかった。そして、秘かに、UR《ウー・エル》―4号の改装をはじめたのである。
こうした経緯《いきさつ》が、言葉を待つまでもなく、七人の復辟《ふくへき》派には次々と泛《うか》んでいった。まるで、ウルリーケの一言が礫《つぶて》のように、追憶の、巻き拡がる波紋のようなものがあったのである。
「そうして、UR《ウー・エル》―4号の改装が終りますと、次に私を待っていたのが、悲しい船出でございました。私はあの前夜に慌《あわただ》しい別れを聴かせられたとき、その時は別離の悲しみよりか、かえって、あの美しい幻に魅せられてしまいましたわ。
あの蒼い広々とした自由の海、その上で結ぶ武人の浪漫主義《ロマンチシズム》の夢――。まあ貴方は、艇《ふね》を三|檣《しょう》の快走艇《ヨット》にお仕立てになって……、しかもそれには、『|鷹の城《ハビヒツブルク》』という古風な名前をおつけになったではございませんか。
ああそれは、王立《ロイヤル》カリンティアン快走艇《ヨット》倶楽部《くらぶ》員としての、面目だったのでしょうか。いいえいいえ、私はけっしてそうとは信じません。
きっと貴方は、最後の悲劇を詩の光輪で飾りたかったに違いありませんわ。そして、しめやかな通夜を他目《よそめ》に見て――俺は、生活と夢を一致させるために死んだのだ――とおっしゃりたかったに相違ありませんわ。
そうして、その翌朝一九一六年四月十一日に、その日新しく生れ変った潜航艇『|鷹の城《ハビヒツブルク》』は、朝まだきの闇を潜《くぐ》り、トリエステをとうとう脱け出してしまったのでした。あの時すぐに始まった朝やけが、ちょうどこのようでございましたわねえ」
その時、水平線がみるみる脹《ふく》れ上がって、美《うるわ》しい暁《あけぼの》の息吹が始まった。波は金色《こんじき》のうねりを立てて散光を彼女の顔に反射した。
ウルリーケは爽やかな大気を大きく吸い込んだが、おそらく彼女の眼には、その燦《きらびや》かな光が錫色をした墓のように映じたことであろう。
「ところが、そのとき積み込んだ四つの魚雷からは、どうしたことか、功績《いさお》の証《あかし》が消え去ってしまったのです。
その月の十九日タラント軍港を襲撃しての、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』号の撃沈も、年を越えた五月二十六日コマンドルスキイ沖の合衆国巡洋艦『提督《アドミラル》デイウェイ』との戦闘も、このとおり艇内日誌にはちゃんと記されておりますが、その公表には、どうしたことか時日も違い、各自自爆のように記されてあるのです。
それがドナウ聯邦派の利用するところとなって、ハプスブルグ家の光栄《はえ》を、貴方一人の影で覆い、卑怯者、逃亡者、反逆者と、ありとあらゆる汚名を着せられて、今度は共和国を守る、心にもない楯に変えられてしまったのです。
それにつれて、同じ運命が私にも巡ってまいりました。
わけても、貴方の生存説が、どこからともなく伝わってまいりましたおりのこととて、私たちの家には毎夜のように石が投げられ、むろん貴方のお墓などは、夢にも及ばなくなったのです。
ところへ、貴方が拿捕《だほ》された『室戸丸』の船長から――それが現在私の夫ではございますが、貴方の遺品《かたみ》を贈るという旨を申しでてまいりました。それがそもそも、いまの生活に入る原因となったのでしたけど、私の悲運は、いまなお十七年後の今日になっても尽きようとはいたしません。
せっかく貴方の墓と思い、引き揚げた『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』も、ついには私たちの生計の糧《かて》として用いねばならなくなりました。
私たちはこの上、安逸な生活を続けることが不可能になったのでございます。それで八住は、船底を改装して硝子《ガラス》張にしたのを、いよいよ海底の遊覧船に仕立てることにいたしました。
そうして再び、貴方のお船『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』は動くことになりましたけど、私にとれば、貴方のお墓を作る機会が、これで永遠に失われてしまったことになります。
ですけど、貴方の幻だけはかたく胸に抱きしめて――あの気高くも運命《さだめ》はかなき海賊《コルサール》、いいえ、男爵海軍少佐テオバルト・フォン・エッセンは、死にさえも打ち捷《か》って、このような
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