齟vしたとすれば、それには、一つの共通した要素があると云えましょう。それで、貴女の夢と、神経病者朝枝の偏執とが一致したのですが、あの、蕾《つぼみ》が開かずにいてくれたら――という願望は、つまり云うと、瓣《はなびら》がダラリと垂れる形で、油絵の中の、唇に懼れられていたそれが当るのです。もちろん朝枝も、いつのまにか、例の秘密場所を嗅ぎつけたのですが、しかしどうしてそれが、かくも怖ろしい惨劇を生んだのでしょう。
 貴女が艇長を思慕する声は、同様に朝枝も唆《そそ》って、思春期の憧れを、艇長に向けていたのですがいよいよあの手紙を見るに及んで、はしなく心の中に、病的なものが立ち罩《こ》めてゆきました。と云うのは、母と競《せ》り合い、陥し入れてまでも、幻の彼を占めようとしたからです。
 夢の充実――それが八住を殺し、母である貴女を、拭いのつかない危地に陥し込もうとしたのでした。
 しかし、あのアマリリスの奇蹟は、父親のひたむきな愛の中から生れ出たのですよ。
 八住は毎夜|払暁《あけがた》になると、不自由な身体を推してまでも花市に行って、蕾のアマリリスを買っては、取り換えていたのです。そして、前夜のものは、防堤から海の中に投げ入れていたのですが、そのとき心覚えに印したものが、貴女も知る、火術符号めいた形だったのです。ところが、悲しい事に、盲人が描く直線は、腕の廻転を軸に徐々とまがってゆくのですから、かえって八住は、毎日防堤との距離が遠くなるのを考えて、そこがあるいは、岬の角ではないかという、錯誤を起してしまったのです。
 さあ夫人《おくさん》、『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』を潜航させて、防堤下の海底に行きましょう。
 先刻《さっき》はそれを見て、朝枝が天上の愛に打たれたのですが、そこにはアマリリスが一面に咲き乱れていて、あの重たげな花瓣が、下波にこう囁いているのですよ――父の愛」



底本:「潜航艇「鷹の城」」現代教養文庫、社会思想社
   1977(昭和52)年12月15日初版第1刷発行
底本の親本:「地中海」ラヂオ科学社
   1938(昭和13)年9月
初出:「新青年」博文館
   1935(昭和10)年4〜5月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本で使用されている「〔〕」はアクセント分解を表す括弧と重複しますので「【】」に改めました。
※「防堤に書かれた符号の図(fig43656_02.png)」中の、「次第に圖をなして」を、「次第に圓をなして」に改めました。この際、「小栗虫太郎全作品4 二十世紀鉄仮面」桃源社、1979(昭和54)年3月15日発行を参考にしました。
※「鷹の城」にかかるルビ、「ハビヒツブルク」と「ハビヒツブルグ」の混在は底本通りです。
入力:ロクス・ソルス
校正:A子
2007年2月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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