室から出てきた。彼はそれまで、あわよくば衝角を狙おうと、操舵していたのであったが、船長の決意は、全員の安危に白旗の信号を送ったのであった。
 ところが、その瞬間、四の弾が舷側を貫いて、機関室に命中した。そうして、進行を停止した船に、艇から、次の信号が送られたのであった。
「幹部船員四名、書類を持って艇に来たれ」
 かくて、八住船長以下、犬射事務長、ヴィデ砲手、石割一等運転手の四人が、全員に別れを告げ、船を離れ去ることになったのである。
 その直後に、全員が短艇《ボート》で、四散するさまも、また哀れであった。が、まもなく、室戸丸に最後の瞬間が訪れた……
 燃料や食料を、積み得るだけ艇に移したうえ、室戸丸は、五発の砲弾を喰いそのまま藻屑《もくず》と消えてしまったのである。
 室戸丸は、みるみる悲惨な傾斜をなしてゆき、半ば以上も海面に緑色《りょくしょく》の船腹が現われてきた。やがて、鈍い、遠雷のような響きがしたかと思うと、いきなり船首から真っ縦に水に突き刺った。そして、たかい、長濤《うねり》のような波紋が、艇をおどろしく揺《ゆす》りはじめたのである。
 しかし、艇内に収容されて、最初の駭《おどろ》きというのは、この船が独艇ではなく、墺太利《オーストリヤ》の潜航艇だということであった。
「驚いた。だが光栄至極にも、われわれはフォン・エッセンの指揮下にある、潜航艇に乗り込んでしまった。あの人は、墺太利《オーストリヤ》の、いや欧羅巴《ヨーロッパ》きっての名将なんだ。鬼神、海神といわれる――いつかウインに、記念像《デンクマル》を持つのは、この人以外にはないというからね」
 ヴィデがすぐ、こんなことを、一同の耳に囁《ささや》きはじめた。乗組員は二十名、艇《ふね》は、一九〇六年の刻印どおり旧型の沿岸艇だ。
 巡航潜水艇ではない。それにもかかわらず、七つの海を荒れまわる胆力には驚嘆のほかないのである。
 しかも、艇内の四人は、厚遇の限りを尽されていた。どこでも、自由に散歩ができるし、おりには、艦長とも戯《ざ》れ口を投げ合う。
 そして艇は、女王《クイーン》シャーロット島《ランド》を後に、北航をはじめたのであったが、まもなく艇首をカムチャツカに向けた。
 その間も、十三|節《ノット》か十四節で、たいてい海面を進んで行った。事実水中に潜ったことは、数えるほどしかなかった。一度はかれこれ、五
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