鳴神《なるがみ》式な色模様を、ラザレフは見ることが出来たのだ。」
 法水はニヤニヤ微笑みながら、濛々《もうもう》と烟《けむ》ばかり吐き出していたが、
「なるほど、各人各説と云うわけだね。それでは支倉君、君は手燭をどう説明する?」
「それはこうなんだ。その時ラザレフは、最初五|分《ぶ》ばかりに残った蝋燭を点《とも》して、扉の前に立ったのだが、左手が不髄なために一まず手燭を床の上においてから、扉を細目に開いたのだ。そうして、手燭を消すのも忘れて凝視しているうちに、やがて蝋燭は燃え尽きてしまい、その暗黒の中で、最後の怖ろしい断定を前方に認めねばならなかったのだ。ところで、ラザレフの自殺を発見したルキーンが、それからどうしたかと云うに、彼はそれを利用して、対ジナイーダの関係を有利に展開させようと試みた。と云うのは、ルキーンの邪推からジナイーダの蔭にあり――と信じたワシレンコを除くことで、深夜会堂の周囲を狂人のように徘徊《はいかい》している姿を目撃したからだよ。そしてイリヤに口止をしてから、短剣を抜き取って姉妹の室に鍵を下し、それから、君の推定通りの径路を辿って、構外に脱出したのだ。さて、そうなると鐘をルキーンが鳴らしたことは云うまでもあるまい。その幻妙不可思議な手法は無論ルキーンだけの秘密だけども、発見を一刻でも早めることが彼奴《きゃつ》にとってこの上もない利益なのだからね。鳴らさねばならない理由はこれで立派に判ってたことになる。だから熊城君、この事件には一人の犯人もないことになってしまうのだよ。」
「すると、死体の謎はどうなるね?」
「それは、或る病理上の可能性を信ずる以外にないと思うね。刃を突き立てた瞬間に、それまで健康だった脳髄[#底本では「脳随」と誤記]の左半葉に溢血して、自由な右半身に中風性麻痺が起ったのだ。半身不随者が絶えず不意の顛倒を神経的に警戒しているのを見ても判るだろうが、異常な精神衝撃や肉体に打撃をうけると、残り半葉によく続発症状が発するものなんだ。その意味で剖検の発表が待たれてならないと云うわけさ。」
「フム」と頷いたが、熊城は意地悪そうに笑って、「しかし、それはむしろ他殺の場合に云うことだろう。それに、君は死体の奇妙な鉾立腰《ほこだてごし》に注意を欠いている。もっとも、その辺を曖昧にしなければ、自殺だなんて荒唐無稽な説が成立する気遣いはないのだがね。しかもその真因が解ると、君の説が出発している創道の方向から、ラザレフの意志が消えてしまうのだよ。ところで何がああ云う形を作ったかと云えば、それは一寸法師ルキーンの体躯なんだ。――まずルキーンが扉の外から声を掛けたとする。そうすると、ラザレフは当然彼の身長を知っているのだから、恐らく、半ば習慣的に上体を曲げて、扉の間から首を突き出したに相違ない。そこを下から突き上げられたのだよ。そして、ラザレフはそのままの形で崩れ落ちたのだが、その時健康な半身に中風性麻痺が起ったのだ。つまり、ルキーンの頭上にラザレフの咽喉《のど》が現われたのだから、加害者がいかなる姿勢で突いたと云うよりも、ルキーンの特殊な身長では、あの個所をああ云う方向に突くよりほかに方法がなかったのだ。」
「すると、着衣に焦げた痕が現われなければならんよ。」検事は半ば敗勢を自覚して、声に力がなかった。「無論手燭を下において扉を開けたのだろうが、それには、蝋燭が燃え尽きるまでの時間がない。」
 そこで熊城は最後の結論を云った。
「しかし、ルキーンが五|分《ぶ》ばかりだと云う蝋燭が、その間に一度は使われていたとしたらどうだろう。そして、芯だけになったのに、吝嗇《りんしょく》なラザレフが点《とも》したとすると、芯の下方が燃えることになるから、下の蝋が熔けるにつれて、横倒しに押し流され炎が直立しなくなってしまうぜ。」と凱歌を挙げたが、彼はチラと臆病そうな流眄《ながしめ》を馳せて、
「時に法水君、君の意見は?」とたずねた。
「サア、僕の意見ってただ」しかし彼の眼光には、決定したものの鋭さがあった。「困ったことには、鐘声の地位を主役に進めるだけのものなんだが、マア我慢して貰って、君達の推論を訂正する労だけも、買って貰うことにしよう。」と、まず検事に向い、「最初に君の自殺説だがそれが謬論だと云うことは、死体の最後の呼吸が証明している。知っての通り、気管を見事に切断しているのだが、犯人はすぐその場で短剣を引き抜かず、しばらく刺し込んだまま放置しておいたのだ[#「犯人はすぐその場で短剣を引き抜かず、しばらく刺し込んだまま放置しておいたのだ」に傍点]――その理由は後で話すがねえ。それで、気道がペタンと閉塞されるので、ちょうど絞殺のような具合になってしまった。無論解剖によらなければ、競合《せりあい》状態になっている二つのどっちが最終の
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