点だと云う理由が判るよ。」それから法水はルキーンを見て、
「君が昨夜ここを出る時に、この蝋燭《ろうそく》がどのぐらいの長さだったか憶《おぼ》えているかね?」
「さよう、五|分《ぶ》ばかりでしたかな。しかし、その後にラザレフが使ったかもしれません。」
法水は困ったような表情をしたが、すぐ着衣を脱がして屍体の全身を調べ始めた。微かに糞尿を洩らしているだけで、外傷はもちろん軽微な皮下出血の跡さえ見られない。が、腹の胴巻には札《さつ》らしい形がムックリ盛り上っている。
「これです。」ルキーンは忌々《いまいま》し気《げ》に云った。「これがラザレフ唯一の趣味なんですよ。守銭奴《シャイロック》です。こいつは。だから、可哀そうなもんですぜ。電燈料を吝《おし》んでいるのですから、姉妹二人とも薄暗い石油|洋燈《ランプ》の光で、それも、少しでもながくともせば、こいつが大騒ぎなんです。」
屍体の検案を終ると、法水はラザレフの室に入って行った。その室は、礼拝堂の円天井と鐘楼の床に挾《はさ》まれた空隙を利用しているので、梯《てい》状に作られてあった。扉に続いて二坪程の板敷があり、それから梯子《はしご》で、下の寝室に下りるようになっている。そこには、姉妹の室で見たと同じ採光窓《あかりとり》が床にあいていて、その上を太い粗目《あらめ》の金網で覆うてあった。こう云う奇妙な構造と云い、また、この室の存在が外部からは全然想像されないのを見ても、その昔白系華やかなりし頃には、恐らく秘密な使途に当てられていたらしく思われた。しかし、室内は整然としていて、結局法水は何物にも触れることが出来なかった。
それから、向う側にある娘達の室へ行くまでに、一つの発見があった。と云うのは、礼拝堂の円天井に当る部分の中央の床に、二個所|彩色硝子《ステインドグラス》の採光窓があいていて、そこから振綱の下にかけて、わずかではあるが、剥《は》がれ落ちたらしい凝血の小片が散在していることであった。しかし、法水はそれには一|瞥《べつ》をくれただけで、振綱の下から三尺程の所を不審げに眺めていた。そこには、短い瓦斯《ガス》管が挾んであるのだが、やがて彼は、その下から何物かを抜き取ると、それを手早くポケットに収め、そのままスタスタ歩き出した。姉妹の室の扉には掛金が下りていて、しかも鍵は、鍵穴の中に突っ込まれたままになっている。
「鍵にはないけども、」そう云って、検事は扉の前方の床に、わずか飛散している血粉を指摘した。「して見ると、始末の不完全な手で、犯人はよほど複雑な動作をしたと見えるね。」
そこへドヤドヤ靴音がして、外事課員まで網羅した全機能を率いて、捜査局長|熊城卓吉《くましろたくきち》が肥躯《ひく》を現わした。法水は頓狂な声をあげて、
「いよう、コーション僧正!」
しかし、熊城の苦笑は半ば消えてしまい、側のルキーンを魂消《たまげ》たように瞶《みつ》めていたが、やがて法水の説明を聴き終ると容《かたち》を作って、
「なるほど、純粋の怨恨以外のものじゃない。手口に現われた特徴も、犯人が相当の力量を具えた男――と云う点に一致しているよ。」ともったいらしく頷《うなず》いた。そして、さっそく部下に構内一帯に渉る調査を命じたが、程なく堂外の一隊を率いた警部が、ひどく亢奮《こうふん》して戻ってきた。
「実にどうも、得体が判らなくなりまして。最初入った貴方《あなた》がた三人以外に、足跡がないのですからな。昨夜《ゆうべ》は二時頃に降りやんでいるのですから、凍った霙《みぞれ》の上についたものなら、われわれでなくとも子供でさえ判らなけりゃなりません。それから兇器は、裏門側の会堂から二十|米《メートル》程離れた所で、落ちていた紙鳶《たこ》を突き破っていたのです。」
そう云って、警部は一振りの洋式短剣《ダッガー》を突き出した。銅製の鍔《つば》から束《つか》にかけて血痕が点々としていて、烏賊《いか》の甲型をした刃の部分は洗ったらしい。それがラザレフの所有品で、平生扉の後の棚の上に載せてあることが、すぐルキーンによって明らかにされた。そして、紙鳶は比較的最近のものらしい二枚半の般若《はんにゃ》で、糸に鈎切《かんぎり》がついていた。
「まさか、使者神《マーキュリー》の靴を履《は》いたわけじゃあるまいよ。」法水が動じた気色を見せなかったように、他の二人も、足跡を残さずにすむ脱出径路と不可解な兇器の遺留場所を解くものが、漠然と暗示されているような気がして、必ずや鐘楼内から、それを鑑識的に証明するものが、現われるに違いないと信じていた。だから、熊城はむしろ部下の狼狽振りに渋面を作ったほどで、さっそく法水に姉妹への訊問を促した。
扉が開かれてまず眼に映ったのは、この室の構造がラザレフの室と同一であると云うことだった。その時
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