を知った時に、あの美しい皮一重の下に、戒律のためには父と名のつく人をさえ殺しかねない頑迷な血が培《つちか》われているのを知りました。御承知の通り童貞女は、天主の花嫁であることのためにあらゆるものを賭してまで争わねばなりません。しかし、一朝現世との間の鉄壁が崩壊したら、どうなりましょう。そうなった場合に、天主の花嫁達が新しい生活の中でどんなに苦しまねばならないか――考えてみて下さい。まして、課せられた試練を耐え忍んでいるうちに、童貞女はその奇怪な生活に一種の英雄澆望主義《ヒロイズム》を覚えるようになります。また、一方身体的に云うと、清貧と貞潔の名に隠れた驚くべき苦業が、かえって被惨虐色情症《マゾヒズムス》的な肉感を誘発して来るのです。そして、自然の法則にそむく苦痛の中に、天主の肌と愛撫の実感を描かせるのですよ。しかしそうなると、清純な処女にありがちの潔癖――と云うだけでは許されなくなります。明白な精神|障礙《しょうがい》です。で、姉さんの場合もちょうどそれと同じで、不幸にもそこへラザレフがルキーンとの結婚を強要したのですから、神を涜《けが》すよりはと、養父の咽喉に刃を突き立てたのですよ。でも、一時は恐らく、パウロが云った――修道生活は優れた生活ではあるが義務ではない――と云う言葉などで、ひどく悩んだことでしょうが、結局根強い偏執のためには敵すべくもなかったのです。ところで、告白書の中にこう云う一節があります。――軟骨と云うものは妙な手応えがするものですわね。けれどもそれを感じた瞬間、童貞女のみが知る気高い神霊的な歓喜を、養父を殺《あや》める苦悩の中でしみじみ味わされました――と云うのですよ。すると、何が養父ラザレフを殺させたか判然《はっきり》お解りになったでしょう。それを一口に云うと、もう一つパウロの言葉を例に引きますが、家庭の義務に心を分けられざりし一人が、不幸にも革命の難をうけてふたたび家庭に戻ったため、起った悲劇なのですよ。」
この陰惨な動因に、イリヤは耳を覆いたかったであろう。閉じた瞼が絶え間ない衝動で顫《ふる》えていた。法水はやっと解放された思いで、説明を殺人方法に移した。
「ところが、驚いたことに、姉さんの犯罪にはその方法と動機とが、ちょうど二重人格的な対比を示しているのです。あの蒙迷固陋《もうめいころう》な宗教観に引き換えて、犯行の実際には真にすばらし
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