ていないのである。――そして、鐘楼にはその一円以外に、付着した血痕の存在が発見されず、兇器を捜した検事も空しく戻って来た。
「どうも解《げ》せんな。気管を切断されただけで雷撃的に即死するはずはないが、」法水はそう呟いて、死体の頭髪を掴みグイと引き上げた。「大体創道を見給え。こう云う方向から行われているのは、これまでの短剣殺人にはかつて例のなかったことだよ。しかも、沈着巧妙に頸動脈を避けて、たった一突きだぜ。それがまた、この奇妙な鉾立腰《ほこだてごし》にぶつかると、一体犯人がどんな姿勢で突いたのだか?――すっかり判らなくなってしまうのだよ。それから、顔面が無残な苦痛で引ん歪《ゆが》んでいるにもかかわらず、たとえ十数秒の間でも床上を輾転反側した跡がない。無論手足に痙攣《けいれん》らしいものが見えるけれども、それには明確に表出がないのだ。すると支倉《はぜくら》君、君はこれを見てどう思うね?」
検事は答えられなかったが、法水がいちいち指摘する屍体の不可解な点に、早くもこの事件の底深い神秘が現われているように思った。法水はそれから屍体の両腕に視線を落し、それを交互に掴んで、何か比較するものがあったらしかったが、続いて両眼を詳しく調べて、
「溢血点《いっけつてん》があるな。」と呟くと、今度は屍体を仰向けにした。すると、股下の辺《あた》りから――ちょうど閾《しきい》から一寸程下った所に当るのだが――真鍮製《しんちゅうせい》の手燭が現われた。それは、直径五寸ばかりの鉢型をしたもので、堆《つい》状の火山型をした残蝋《ざんろう》が鉄芯《てつしん》の受金を火口底のようにして盛り上っている。そして、その間から百目|蝋燭《ろうそく》にも使えそうな太い鉄芯が、真黒に燻《くすぶ》ってニョッキリ突き出ていて、燃え尽きた芯がその裾の方で横倒しになっていた。ところが、手燭のあった辺の着衣を調べると、焦痕は愚かやや水平から突出している鉄芯の痕《あと》らしいものさえ見出されないのである。それも後で差込んだものでないことは、床から手燭の裾にかけて、微《かす》かながら血の飛沫《ひまつ》があるので明瞭だった。
「何だい? 大変な執念じゃないか。」手燭を置くと、法水の眼がふたたび屍体の両腕に引かれて行くので、検事は訊《き》かざるを得なくなった。
「ウン、左腕が内側へ曲っているだろう。今に君は、それが非常に重大な
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