の一部分が、露出しているために、背後に太陽があり、切れ海霧《ガス》が丸うなってそばを通ると、あのとおり、金色の幻暈《かさ》を現わすのじゃ。したが私は、誓って終局の鍵《かぎ》が、ベーリング島にあると思うのです。そして、ベーリングの空骸《むくろ》に印された遺書を見るまでは、なんで黄金郷の夢が捨てられましょうぞ」
「おお、それでは……それでは、これからベーリング島へ行くのでございますか」
とフローラは、たまらず不安と寂寥《せきりょう》に駆られて、低く声を震わせた。
しかし、同時に彼女は、何事かを悟ったと見え、全身がワナワナとおののきだした。というのは、いま紅琴に説かれた黄金郷の正体が、ついぞ先刻、自分の頭上を飾った、後光と同じ理論に落ちたからである。
それが、いわゆる仏の御光(露が鏡面のように働いて、草の葉の面に太陽の像を現わし、また、その像が光源となり光線が逆もどりして、太陽のあるほうの側に、像ができる。そして、人の眼が、この像のできたところにあれば、露の中から、光を放っているように見えるのだ)――露に映した、自分の頭上に光輪が輝くことは、だれ一人知らぬ者とてない、普遍の道理ではないか。
すると、再びあの苦悩が、しんしんと舞いもどってきて、彼女は、深い畏怖《おそれ》に打たれた声で叫んだ。
こうして、尽きせぬ名残りと殺害者の謎《なぞ》――またフローラにとると、父ステツレルの妖怪《ようかい》的な出現に疑惑を残し、この片々たる小船が流氷の中を縫い進むことになった。
「まいりますとも、まいりますとも……。奥方さまのおいでになるところなり、どこへなりとお供いたしますわ。そして、私は父の亡霊を見にいくのでございます。それは、ほんとうの父ではございません――父の幽霊でございましょう」
それから、十数日の間というのは、まるで無限に引かれた灰色の幕の中を進んでいくようであった。
時として、低い雲が土手のように並んでいると、それが島影ではないかと思い、はっと心を躍らせるのであるが、その雲はすぐ海霧《ガス》に閉ざされて、海も空も、夢の中の光のようにぼんやりとしてしまうのだった。
そうして、死んだような鉛色の空の下で、流氷の間を縫い行くうちに、ある朝、層雲の間から、不思議なものが姿を現わした。
その暗灰色をした、穂槍《ほやり》のような突角が、ベーリング島の南端、マナチノ岬であった。
そこは、宿る木一つとない、無限の氷原だった。
その、乳を流した鏡のような世界の中では、あの二つの複雑な色彩、秘密っぽい黒|貂《てん》の外套《がいとう》も、燃えるような緑髪も、きらびやかな太夫着《だゆうぎ》の朱と黄金を、ただただ静かな哀傷としてながめられた。
しかし、上陸した時には、糧食も残りわずかになっていて、二人は疲労と不安のため、足もためらいがちであった。それは、肉体だけが覚めていて、心が深い眠りに陥っているかのように、二人はただ、機械的に歩き続けるのみである。
それでなくてさえも、雲は西から北からと湧《わ》いて空中に広がり、すでに嵐の徴候は歴然たるものだった。
しかし、夜になると、二人は抱き合って、裲襠《うちかけ》の下で互いに暖め合うのであるが、そうした抱擁の中で、ややもすると性の掟《おきて》を忘れようとする、異様の愛着が育てられていった。
やがて、氷の曠原《こうげん》を踏んで猟虎入江《ホプローバヤいりえ》を過ぎ、コマンドル川の上流に達したとき、その河口に、ベーリングの終焉《しゅうえん》地があるのを知った。
ところが、ベーリングの埋葬地点に達したとき、それがあたかも、悲劇の前触れでもあるかのように、さっと頬《ほお》をなでた、砂のように冷たいものがあった。
それは、今年最初の雪で、静かに、乳のごとく、霧のごとく空を滑りゆくのだった。
そうと知って、紅琴は愕然《がくぜん》としたけれども、千古の神秘をあばこうとする、狂的な願望の前には、なんの事があろう。二人は、互いに励ましながら、氷を割り砂を掘り下げると、果たしてそこからは、凍結した、ベーリングの死体が現われた。
それは、両手を胸に組み、深い雛《しわ》を眉根《まゆね》に寄せて、顔には何やら、悩ましげな表情を漂わせていた。
しかし、息をあえいで太腿《ふともも》を改め、凍りついた、腐肉の上に瞳を凝らすと、やはりそこにはグレプニツキーの言うがごとく、EL DORADO RA という文字がしたためてあるのだ。
ああ、ついにそうであったか、しかし、もう再びラショワ島に帰ることは――と紅琴は、しばらく黙然としていたが、そうしているうちに、一つ二つと笄《こうがい》が、音もなく抜け落ちたかと思うと、両手に抱えたフローラの体に、次第に重みが加わっていく。
彼女は、すでに渾身《こんしん》の精力を使い尽
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