、思わず弾《は》ね上げられたような、声を立てた。
「さようでございます。最初は、二、三日下痢模様が続きますと、骨も髄も抜け果てたようになって、次第に皮膚の色が透き通ってまいるのです。それで、病人たちは、死の近きを知るころになると、きまって船底近い、臥床《ふしど》から這《は》い出していくのです。そして、狂気のようになって、甲板へ出ようとしますけれど、そこには岩のような靴《くつ》と、ヒューヒューうなる鞭《むち》が待ち構えているのでした。でもう、しまいには死の手に押さえつけられてしまって、わずかに首と、弱った頭をもたげるにすぎなくなってしまうのです。
ところが、それから二度三度と現われた父の手は、いつも決まって、船底に続く鉄梯子《てつばしご》の方角のほうから現われてくるのでした。それからというもの私は、もしやしたら父と悪疫《えやみ》との間に、何か不思議なつながりがあるのではないか――ないかないかと、それのみをただ執念《しゅうね》く考えつめるようになりました。ですから、その軍船の中には、じりじり燃え広がっていく、恐ろしい悪疫と……。それから、野鳥のように子を犯そうとする、煙のような悪霊とが潜んでいるのです。
打ち沈めて、……お願いですわ。……打ち沈めてくださいまし。それでないと、今にきっとこの島には鳥一羽、寄りつかなくなるに決まってますから」
次第に調子を高めてきたフローラは、最後の言葉を、つんざくような鋭さで叫んだ。
すると、応と答えた横蔵が、撥《ばち》を取り上げ、太鼓を連打すると、軍船を囲んだ小舟からは異様な喚声があがり、振り注ぐ火箭《ひや》が花火のように見えた。
そうしてしばらくの間、アレウート号の炎は、いろいろな形に裂け分かれて、真紅の模様を、輝く水面に刻み出していたが、やがて波紋が積もり重なり、柔らかな鏡のようになると、わずか突き出た檣《マスト》の先に、再び海鳥が群がりはじめた。
こうして、フローラを忌まわしくも追い続けた悪霊の船、悪疫を積んだアレウート号は、再び水面に浮かぶことがなかったのである。
その間、ちらつく火影の中で、紅琴はフローラの物語を聴き続けていた。
「でございますもの。私がいつか、あの船を逃れよう逃れようとしたって、無理ではございませんでしょう。ところが、そうこうともだえているうちに、計らずも今朝、黄金郷《エルドラドー》の輝きを望見したのでございます。
それは、白夜がはじまろうとする白っぽい光の中で、島の頂きを覆う金色の輪が、暈《かさ》のように広がり縮んでいて、それは透かし絵の、影像のように見られたのでした。しかし、その冷たい湿っぽい感覚が、私の肺臓にずうんとしみわたりました。逃れるのはいま――私は、鹹《から》っぽい両|掌《て》に汗を浮かべて、病を装おうと決心しました。それからが、こうして、手厚いおもてなしをいただく仕儀にございます。どうかいつまでも、下碑《はしため》になりと、御手元にお置きくださいませ」
永々と続いた、フローラの物語は終わった。
ちょうどそれは、鏡に吹きかけた息のようなものであった。彼女をおびやかした、忌まわしい悪夢の世界は、すべて何もかも、海中に没し去ってしまったのである。
そうしてフローラは、新しい生活を踏み出すことになった。
しかし、ベーリングをはじめ、彼女さえも遠望したという黄金郷《エルドラドー》の所在は、ついに、この島のどこにあるのか明らかではなかった。それは、フローラという緑毛の処女が、そもそも神秘的な存在であるように、黄金郷という名を、聴いただけでさえ、三人は竜巻《たつまき》の中に巻き込まれたような気がしたらしい。
ところが、その翌日から、フローラをめぐって、この島には激しい情欲の渦《うず》が巻き起こることになった。
その翌日――フローラがすがすがしい陽《ひ》の光に眼覚めたとき、浜辺のほうから、異様な喚声が近づいてくるのを聴いた。
見ると、彼女はハッとなって胸を抱きしめた。そこには、土人たちに取り巻かれて、昨夜運命を、船と共に決したとばかり思われたグレプニツキーが、無残な俘虜《ふりょ》姿をさらしているのだ。
首には、流木の刺股《さすまた》をくくりつけられ、頭はまた妙な格好で、高く天竺《てんじく》玉に結び上げられている。そしてこの黄色い顔に、洞《ほこら》のような眼をした陰気な老人は、突かれては転びながら、次第に岩城《いわしろ》さして近づいてくるのである。
けれども、それから始まった、横蔵の火の出るような尋問も、ついに効果はなかった。
やはり彼も、フローラと同じことを言うのみで、黄金郷《エルドラドー》の所在は、依然迷霧の中に閉ざされているのであった。それから、グレプニツキーは、土人小屋に収容されたが、賢《さか》しい紅琴は、早くもただならない、二
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