、海波高かれとばかりに祈りおりまする。そして、舷側《げんそく》の砲列が役立たぬようにとな」
火器のない、この島のひ弱い武装を知る弟は、ただただ、迫り来たった海戦におびえるばかりだった。が、それに横蔵は、波浪のような爆笑をあげた。
「いやいや、火砲《カノン》とは申せ、運用発射を鍛練してこその兵器じゃ。魯西亜《オロシャ》の水兵《マドロス》どもには、分度儀《ジャスパー》も測度計《サイドスケール》も要らぬはずじゃ。水平の射撃ならともかく、一高一低ともなれば、あれらはみな、死物的に固着してしまうのじゃよ。慈悲太郎、兄はいま抱火矢を使って、あの軍船と対舷《たいげん》砲撃を交わしてみせるわ」
それは、何物の影をも映そうとせぬ、鏡のように、外は白夜に開け放たれた。
その蒼白《そうはく》さ、なんともたとえようのない色合いのほのめきは、ちょうど、一面に散り敷いた色のない雲のようであった。
その中を、渚《なぎさ》では法螺《ほら》貝が鳴り渡り、土人どもは、櫂《かい》や帆桁《ほげた》に飛びついた。次第に、荒々しい騒音が激しくなっていき、やがて臆病《おくびょう》な犬のそれのように、嚇《おど》しの、喉《のど》をいっぱいにふくらませた、一つの叫び声にまとまっていくのだった。
しかし、渚を離れて、その幾艘《いくそう》かの小舟が、ほとんど識別し難い点のようになると、入江の奥は、ふたたび旧の静寂に戻った。
その時慈悲太郎は、静かに砂を踏み、入江を囲む、岬《みさき》の鼻のほうに歩んで行った。
青白い日光が、茫漠《ぼうばく》たる寂寥《せきりょう》の中で、こうもはっきりと見られるのに、岬の先では、海が犠牲《いけにえ》をのもうと待ち構えている。それが、嵐《あらし》を前にした、ねつっこい静けさとでもいうのであろうか。いや、嵐を呼ぶ、海鳥の泣き狂う声さえ聞こえないではないか。
背後には、四季絶えず陰気の色の変わらぬ、岩柱の城がそそり立ち、灰色をした地平線の手前には、空の色よりも、幾分濃いとしか思われぬ鉛色の船体が、いとも眠たげに近づいてくるのである。
まこと、その二つのものは、冷たい海の上に現われた幻のように、それとも、仄暗《ほのぐら》い影絵としか思えないのだった。
しかし、味方は巧妙に舟を操って、あるいは水煙の中に隠れ、滝津瀬のようなとどろきを上げる、波濤《はとう》の谷底を選《え》り進んでは、
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