ご》ろにせしため、本日原籍校に差し戻されたり。然《しか》るに、クインシイは不審にも巨額の金貨を所持し、それを追及されたる結果、彼の秘蔵に係わる、ブーレ手写のウイチグス呪法典、※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルデマール一世触療呪文集、希伯来《ヘブライ》語手写本|猶太秘釈義《ユダヤカバラ》法(神秘数理術《ゲマトリア》としてノタリク、テムラの諸法を含む)、ヘンリー・クラムメルの神霊手書法《ニューマトグラフィー》、編者不明の拉典《ラテン》語手写本|加勒底亜《カルデア》五芒星招妖術、並びに|栄光の手《ハンド・オブ・グローリー》(絞首人の掌《てのひら》を酢漬けにして乾燥したもの)を、降矢木に譲り渡したる旨を告白せり。
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 読み終った検事に、法水は亢奮《こうふん》した口調を投げた。
「すると、僕だけということになるね。これを手に入れたばかりに、算哲博士と古代呪法との因縁を知っているのは。いや、真実怖ろしい事なんだよ。もし、ウイチグス呪法書が黒死館のどこかに残されているとしたら、犯人の外に、もう一人僕等の敵がふえてしまうのだからね」
「そりゃまた何故だい。魔法本と降矢木にいったい何が?」
「ウイチグス呪法典はいわゆる技巧呪術《アート・マジック》で、今日の正確科学を、呪詛《じゅそ》と邪悪の衣で包んだものと云われているからだよ。元来ウイチグスという人は、亜剌比亜《アラブ》・希臘《ヘレニック》の科学を呼称したシルヴェスター二世十三使徒の一人なんだ。ところが、無謀にもその一派は羅馬《ローマ》教会に大啓蒙運動を起した。で、結局十二人は異端焚殺に逢ってしまったのだが、ウイチグスのみは秘かに遁《のが》れ、この大技巧呪術書を完成したと伝えられている。それが後年になって、ボッカネグロの築城術やヴォーバンの攻城法、また、デイやクロウサアの魔鏡術やカリオストロの煉金術、それに、ボッチゲルの磁器製造法からホーヘンハイムやグラハムの治療医学にまで素因をなしていると云われるのだから、驚くべきじゃないか。また、猶太秘釈義《ユダヤカバラ》法からは、四百二十の暗号がつくれると云うけれども、それ以外のものはいわゆる純正呪術であって、荒唐無稽もきわまった代物ばかりなんだ。だから支倉君、僕等が真実怖れていいのは、ウイチグス呪法典一つのみと云っていいのさ」
 はたして、この予測は後段に事実となって現われたけれども、その時はまだ、検事の神経に深く触れたものはなく、法水が着換えに隣室へ立ったあいだ次の一冊を取り上げ、折った個所のある頁を開いた。それは、明治十九年二月九日発行の東京新誌第四一三号で、「当世|零保久礼博士《ちょぼくれはかせ》」と題した田島象二([#ここから割り注]酔多道士――「花柳事情」などの著者[#ここで割り注終わり])の戯文だった。
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 ――扨《さて》もこの度|転沛逆手行《かんぽのかえり》、聞いてもくんねえ(と定句《きまりく》十数列の後に、次の漢文が插入されている)近来大山街道に見物客を引くは、神奈川県高座郡|葭苅《よしがり》の在に、竜宮の如き西洋城廓出現せるがためなり。そは長崎の大|分限《ぶげん》降矢木鯉吉の建造に係るものにして、いざその由来を説かん。先に鯉吉は、小島郷療養所において和蘭《オランダ》軍医メールデルホールトの指導をうけ、明治三年一家東京に移るや、渡独して、まずブラウンシュワイク普通医学校に学べり、その後|伯林《ベルリン》大学に転じて、研鑽八ヶ年の後二つの学位をうけ、本年初頭帰朝の予定となりしも、それに先きだち、二年前英人技師クロード・ディグスビイを派遣して、既記の地に本邦|未曾有《みぞう》とも云う大西洋建築を起工せり。と云うは一つに、彼地にて娶《めと》りし仏蘭西《フランス》ブザンソンの人、テレーズ・シニヨレに餞《はなむ》ける引手箱なりと云う。すなわち、地域はサヴルーズ谷を模し、本館はテレーズの生家トレヴィーユ荘の城館を写し、もって懐郷の念を絶たんがためなりとぞ。さるにしても、このほど帰国の船中|蘭貢《ラングーン》において、テレーズが再帰熱にて死去したるは哀れとも云うべく、また、皮肉家大鳥文学博士がこの館を指し、中世堡楼の屋根までも剥いで黒死病《ペスト》死者を詰め込みしと伝えらるる、プロヴィンシア繞壁《ぎょうへき》模倣を種に、黒死館と嘲《あざけ》りしこそ可笑《おか》しと云うべし――。
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 検事が読み終った時、法水は外出着に着換えて再び現われた。が、またも椅子深く腰を埋めて、折から執拗に鳴り続ける、電話の鈴《ベル》に眉を顰《ひそ》めた。
「あれはたぶん熊城《くましろ》の督促だろうがね。死体は逃げっこないのだから、まずゆっくりするとしてだ。そこで、その後に起った三つの変死事件と、いまだに解し難い謎とされている算哲博士の行状を、君に話すとしよう。帰国後の算哲博士は、日本の大学からも神経病学と薬理学とで二つの学位をうけたのだが、教授生活には入らず、黙々として隠遁的な独身生活を始めたものだ。ここで、僕等が何より注目しなければならないのは、博士がただの一日も黒死館に住まなかったと云うばかりか[#「博士がただの一日も黒死館に住まなかったと云うばかりか」に傍点]、明治二十三年には[#「明治二十三年には」に傍点]、わずか五年しか経たない館の内部に大改修を施したと云う事で[#「わずか五年しか経たない館の内部に大改修を施したと云う事で」に傍点]、つまり[#「つまり」に傍点]、ディグスビイの設計を根本から修正してしまったのだ[#「ディグスビイの設計を根本から修正してしまったのだ」に傍点]。そうして、自分は寛永寺裏に邸宅を構えて、黒死館には弟の伝次郎夫妻を住わせたのだが、その後の博士は、自殺するまでの四十余年をほとんど無風のうちに過したと云ってよかった。著述ですらが、「テュードル家|黴毒《ばいどく》並びに犯罪に関する考察」一篇のみで、学界における存在と云ったら、まずその全部が、あの有名な八木沢医学博士との論争に尽きると云っても過言ではないだろう。それはこうなのだ。明治二十一年に頭蓋鱗様部及び顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]窩《せつじゅか》畸形者の犯罪素質遺伝説を八木沢博士が唱えると、それに算哲博士が駁説を挙げて、その後一年にわたる大論争を惹《ひ》き起したのだが、結局人間を栽培する実験遺伝学という極端な結論に行きついてしまって、その成行に片唾《かたず》を嚥《の》ませた矢先だった。不思議なことには、二人の間にまるで黙契でも成り立ったかのように、その対立が突如不自然きわまる消失を遂げてしまったのだよ。ところが、この論争とは聯関のないことだが、算哲博士のいない黒死館には、相次いで奇怪な変死事件が起ったのだ。最初は明治二十九年のことで、正妻の入院中愛妾の神鳥《かんどり》みさほを引き入れた最初の夜に、伝次郎はみさほのために紙切刀《かみきりがたな》で頸動脈を切断され、みさほもその現場で自殺を遂げてしまったのだ。それから、次は六年後の明治三十五年で、未亡人になった博士とは従妹《いとこ》に当る筆子夫人が、寵愛《ちょうあい》の嵐鯛十郎という上方役者のためにやはり絞殺されて、鯛十郎もその場去らずに縊死《いし》を遂げてしまった。そして、この二つの他殺事件にはいっこうに動機と目されるものがなく、いやかえって反対の見解のみが集まるという始末なので、やむなく、衝動性の犯罪として有耶無耶《うやむや》のうちに葬られてしまったのだよ。ところで、主人を失った黒死館では、一時算哲とは異母姪《いぼてつ》に当る津多子――君も知ってのとおり、現在では東京神恵病院長|押鐘《おしがね》博士の夫人になってはいるが、かつては大正末期の新劇大女優さ――当時三歳にすぎなかったその人を主《あるじ》としているうちに、大正四年になると、思いがけなかった男の子が、算哲の愛妾岩間富枝に胎《みごも》ったのだ。それがすなわち、現在の当主旗太郎なんだよ。そうして、無風のうちに三十何年か過ぎた去年の三月に、三度動機不明の変死事件が起った。今度は算哲博士が自殺を遂げてしまったのだ」と云って、側《かたわら》の|書類綴り《ファイルブック》を手繰り寄せ、著名な事件ごとに当局から送ってくる、検屍調書類の中から、博士の自殺に関する記録を探し出した。
「いいかね――」
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 ――創《きず》は左第五第六肋骨間を貫き左心室に突入せる、正規の創形を有する短剣刺傷にして、算哲は室《へや》の中央にてその束《つか》を固く握り締め、扉を足に頭を奥の帷幕《たれまく》に向けて、仰臥の姿勢にて横たわれり。相貌には、やや悲痛味を帯ぶと思われる痴呆状の弛緩を呈し、現場は鎧扉を閉ざせる薄明の室にして、家人は物音を聴かずと云い、事物にも取り乱されたる形跡なし、尚《なお》、上述のもの以外には外傷はなく、しかも、同人が西洋婦人人形を抱きてその室に入りてより、僅々十分足らずのうちに起れる事実なりと云う。その人形と云うは、路易《ルイ》朝末期の格檣襞《トレリ》服をつけたる等身人形にして、帷幕の蔭にある寝台上にあり、用いたる自殺用短剣は、その護符刀ならんと推定さる。のみならず、算哲の身辺事情中には、全然動機の所在不明にして、天寿の終りに近き篤学者《とくがくしゃ》が、いかにしてかかる愚挙を演じたるものや、その点すこぶる判断に苦しむところと云うべし――。
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「どうだね支倉君、第二回の変死事件から三十余年を隔てていても、死因の推定が明瞭であっても動因がない――という点は、明白に共通しているのだ。だから、そこに潜んでいる眼に見えないものが、今度ダンネベルグ夫人に現われたとは思えないかね」
「それは、ちと空論だろう」と検事はやり込めるような語気で、「二回目の事件で、前後の聯関が完全に中断されている。何とかいう上方役者は、降矢木以外の人間じゃないか」
「そうなるかね。どこまで君には手数が掛るんだろう」と法水は眼で大袈裟《おおげさ》な表情をしたが、「ところで支倉君、最近現われた探偵小説家に、小城魚太郎《こしろうおたろう》という変り種がいるんだが、その人の近著に『近世迷宮事件考察』と云うのがあって、その中で有名なキューダビイ壊崩録を論じている。ヴィクトリア朝末期に栄えたキューダビイの家も、ちょうど降矢木の三事件と同じ形で絶滅されてしまったのだ。その最初のものは、宮廷詩文正朗読師の主キューダビイが、出仕しようとした朝だった。当時不貞の噂《うわさ》が高かった妻のアンが、送り出しの接吻をしようとして腕を相手の肩に繞《めぐ》らすと、やにわに主は短剣を引き抜いて、背後の帷幕《とばり》に突き立てたのだ。ところが、紅《あけ》に染んで斃《たお》れたのは、長子のウォルターだったので、驚駭《きょうがい》した主は、返す一撃で自分の心臓を貫いてしまった。次はそれから七年後で、次男ケントの自殺だった。友人から右頬に盃《グラス》を投げられて決闘を挑まれたにもかかわらず、不関気《しらぬげ》な顔をしたと云うので、それが嘲笑の的となり、世評を恥じた結果だと云われている。しかし、同じ運命はその二年後にも、一人取り残された娘のジョージアにも廻《めぐ》ってきた。許娘者《いいなずけ》との初夜にどうしたことか、相手を罵《ののし》ったので、逆上されて新床の上で絞殺されてしまったのだ。それが、キューダビイの最期だったのだよ。ところが小城魚太郎は、とうてい運命説しか通用されまいと思われるその三事件に、科学的な系統を発見した。そして、こういう断定を下している。結論は、閃光的に顔面右半側に起る、グプラー痳痺[#「痳痺」はママ]の遺伝にすぎないという。すなわち主の長子刺殺は、妻の手が右頬に触れても感覚がないので、その手が背後の帷幕《とばり》の蔭にいる密夫に伸べられたのでないかと誤信した結果であって、そうなると、次男の自殺は論ずるまでもなく、娘もやはりグプラー痳痺[#「痳痺」はママ]のために、愛撫の不満を訴えたためではないかと推断している
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