の方の板をそっと切り破ろうじゃないか」
 やがて、扉の下方に空けられた四角の穴から潜《もぐ》り込むと、法水は懐中電燈を点じた。円い光に映るものは壁面と床だけで何一つ家具らしいものさえ、なかなかに現われ出てはこない。が、そのうち右辺《みぎばた》からかけて室を一周し終ろうとする際に、思いがけなくも、法水のすぐ横手――扉《ドア》から右寄りの壁に闇が破れた。そして、そこからフウッと吹き出した鬼気とともに、テレーズ・シニヨレの横顔が現われたのであった。面の恐怖と云えば誰しも経験することだが、たとえば、白昼でも古い社の額堂を訪れて、破風《はふ》の格子扉に掲げている能面を眺めていると、まるで、全身を逆さに撫で上げられるような不気味な感覚に襲われるものだ。まして、この事件に妖異な雰囲気を醸《かも》し出した当のテレーズが、荒れ煤《すす》けた室の暗闇の中から、暈《ぼう》っと浮き出たのであるから、その瞬間、三人がハッとして息を窒《つ》めたのも無理ではなかった。窓に微かな閃光が燦《きら》めいて、鎧扉《よろいど》の輪廓が明瞭に浮び上ると、遠く地動のような雷鳴が、おどろと這い寄って来る。そうした凄愴《せいそう》な
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