る。室内の調度は、寝台の側に大|酒甕《さけがめ》形の立|卓笥《キャビネット》があるのみで、その上には、芯の折れた鉛筆をつけたメモと、被害者が臥《ね》る時に取り外したらしい近視二十四度の鼈甲《べっこう》眼鏡、それに、描き絵の絹|覆《シェード》をつけた卓子灯《スタンド》とが載っていた。近視鏡もその程度では、ただ輪廓がぼっとするのみのことで、事物の識別はほとんど明瞭につくはずであるから、それには一顧する価値もなかった。法水は、画廊の両壁を観賞してゆくような足取りで、ゆったり歩を運んでいたが、その背後から検事が声をかけた。
「やはり法水君、奇蹟は自然のあらゆる理法の彼方にあり――かね」
「ウン、判ったのはこれだけだよ」と法水は味のない声を出した。「まるで犯人はテルみたいに、たった一矢で、露《む》き出しよりも酷い青酸を、相手の腹の中へ打《ぶ》ち込んでいるだろう。つまり、その最終の結論に達するまでに、光と創紋を現わすものが必要だったという事だ。云わばあの二つと云うのは、犯行を完成させるための補強作用であって、その道程に欠いてはならぬ、深遠な学理だとみて差支えない」
「冗談じゃない。あまり空論も度が
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