フ前半、独乙国内を流浪した妖術師[#ここで割り注終わり])やディーツのファウスチヌス僧正などが精霊主義《オクルチスムス》に堕ち込んだと云うのも……。すべて、人間が力尽き反噬《はんぜい》する方法を失ってしまった際には、その激情を緩解するものが、精霊主義《オクルチスムス》だと云うじゃないか。それにあの畸狂変態の世界を作り出した種々《いろいろ》な手法には、さしずめ、書庫にあるグイド・ボナットー([#ここから割り注]十三世紀伊太利のファウストと云われた魔術師[#ここで割り注終わり])の『点火術要論《アルテ・デラ・ピロマンティ》』やヴァザリの『|祭礼師と謝肉祭装置《フェスティヴォリー・エト・カルナヴァレ・アパラティ》』などの影響が窺《うかが》われるね[#「窺われるね」は底本では「窮われるね」]。もともと伸子は、あの乾板盗みを、ふとした悪戯気《わるさげ》から演《や》ったのだろう。けれども、その内容を知った時に、恐らく伸子は、魔法のような物凄い月光を感じたに相違ない。その突如として起った、絶命――喪心――宿命感、そう云った感情が十字に群がってきて、それまでの心の平衡を保たせていた、対立の一方が叩き潰《つぶ》されたのだ。そして、それがあの破壊的な、神聖な狂気を駆り立てて世にもグロテスクな爆発を惹《ひ》き起させたのだよ。しかし、僕はけっして、伸子を悖徳症《モーラル・インサニティ》とは呼ばないだろう。あれは、ブラウニングの云う|運命の子《チャイルド・オブ・デスチニイ》、この事件は、一つの生きた人間の詩――に違いないのだ」そう云って法水は、澄みきった聰明そうな眼色で検事を顧《かえり》みた。「ねえ支倉君、せめて、最後の送りだけでも、この神聖家族の最後の一人に適《ふさ》わしいよう、伸子を飾ってやろうじゃないか」
こうして、メディチ家の血系、妖妃《ようひ》ビアンカ・カペルロの末裔《まつえい》、神聖家族|降矢木《ふりやぎ》の最後の一人紙谷伸子の柩《ひつぎ》は、フィレンツェの市旗に覆われ、四人の麻布を纏《まと》った僧侶の肩に担がれた。そして、湧き起る合唱と香煙の渦の中を、裏庭の墓※[#「穴かんむり/石」、470−10]《ぼこう》をさして運ばれて行ったのである――閉幕《カーテン・フォール》。
底本:「黒死館殺人事件」現代教養文庫、社会思想社
1977(昭和52)年4月25日初版第1刷発行
1984(昭和59)年6月15日初版第6刷発行
底本の親本:「黒死館殺人事件」新潮社
1935(昭和10)年5月
初出:「新青年」博文館
1934(昭和9)年4月号〜12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、「法定期限は二ヶ月しかない」以外は大振りにつくっています。
※底本で使用されている「〔〕」はアクセント分解を表す括弧と重複しますので「【】」に改めました。
※ヘブライ文字の認定にあたっては、「国際符号化文字集合(UCS)――第1部:大系及び基本多言語面 JIS X 0221−1:2001 (ISO/IEC 10646−1:2000)」日本規格協会を参照し、同規格の文字の名前を鍵括弧内に記載しました。
※以下の混在は、底本通りです。「カルテット」と「クワルテット」、「オブ」と「オヴ」、「甲冑」と「甲胄」、「佝僂《せむし》」と「傴僂《せむし》」、「ボーデの法則」と「ボードの法則」、「ザラマンダー」と「サラマンダー」、「鐘鳴器《カリリヨン》」と「鐘鳴器《カリルロン》、「侘《わび》」と「佗《わび》」、「四重奏団《クワルテット》」と「四重奏《クワルテット》団」と「四重奏《クワルテット》曲」、「純護謨製《ピュアー・ラバー》」と「純護謨製《ピュアラバー》」と「純護謨製《ピュアラバァ》」、「ウエイルズ」と「ウエールス」、「天馬星《ペガスス》」と「天馬座《ペガスス》」、「毘沙門天《ヴァイシュラヴァナ》」と「毘沙門天《ヴィシュラヴァナ》」、「フィート」と「フイート」、「白羊宮《アリエス》」と「白羊宮《アリース》」、「巨蟹宮《カンセル》」と「巨蟹宮《カンケル》」、「クミエルニツキー」と「クメルニツキー」、「ボルケン・ハウス」と「ボルケンハウス」、「何人《なんぴと》」と「何人《なんびと》」
入力:ロクス・ソルス
校正:小林繁雄
2006年5月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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