@シズム》が――その脈打ちさえも聴き取れるような気がした。それから、暗い廊下を歩いて、旧《もと》の室《へや》に戻ると、そこには、先刻《さっき》伸子が約束した回答が待っていた。神意審問会の索輪《つなわ》の中で、濃厚な疑惑に包まれ、しかもそれが、ピッタリと現存の四人、その一群に、最後の切札が投ぜられたのだ。法水は唇が涸《かわ》き、封筒を持つ右手が怪しくも顫《ふる》え出した。そして、心の中で叫んだ。伸子よ、|運命の星は汝の胸に横たわる《イン・ダイネル・ブルスト・ルーエン・ダイネ・シックザールス・シュテルネ》!

    三、|父よ、吾も人の子なり《パテル・ホモ・スム》

 昨年問題の遺言書が発表された――その席上からいち早く出て、算哲がそこへ達しない以前に、金庫の中から、焼き捨てられた全文を映し取った乾板を、取り出した人物がなければならなかった。そうであるからして、その人物の名を印した伸子の封書を握りしめて、法水が、心の中でそう叫んだのも当然であると云えよう。しかし、封を切って、内容《なかみ》を一瞥《いちべつ》した瞬間に、どうしたことか彼の瞳から輝きが失せ、全身の怒張がいっせいに弛《ゆる》んでしまって、その紙片を力なげに卓上へ抛り出した。検事が吃驚《びっくり》して覗き込んでみると、それには人の名はなく、次の一句が記されているのみだった。
 ――昔ツーレ(一)に聴耳筒《ラウシュレーレン》(二)ありき。

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注(一)ツーレ――。ゲーテの「ファウスト」の中で、グレートヘンが唄う民謡の最初の出。その時ファウストから指環を与えられたのが開緒となって、彼女の悲運が始まるのである。
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(二)聴耳筒――。西班牙《スペイン》宗教審問所に設けられたのが最初。ウファ映画「会議が踊る」の中で、メテルニッヒがウエリントンの会話などを盗み聴くあれがそうである。
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「なるほど、聴耳筒《ラウシュレーレン》か――。その恐ろしさを知っているのは、独り伸子のみならずさ」と法水は、苦笑を交えながら独り頷《うなず》きをして、「事実も事実、ファウスト博士の隠形聴耳筒《おんぎょうラウシュレーレン》たるや、時と場所とに論なく、僕等の会話を細大洩らさず聴き取ってしまうのだからね。だから、当然|迂闊《うかつ》なことでもしようものなら、伸子がグレートヘンの運命に陥るのは判りきった話なんだよ。必ず何かの形で、あの悪鬼の耳が陰険な制裁方法を採らずにおくもんか」
「まず、それはいいとしてだ……。ところで、くどいようだけど、君がいま再現した神意審問会の光景だがね」とその声に法水が見上げると、検事の顔に疑い深そうな皺《しわ》が動いていた。「君は、ダンネベルグ夫人を第二視力者《セカンド・サイター》だと云って、しかも驚くべきことには、犯人がその幻覚を予期していたと結論している。けれども、そういうような、精神の超形而上的な型式が――だ。仮りにもし、軽々と予測され得るものだと云うのなら、君の論旨はとうてい曖昧以外にはないな。けっして深奥だとは云えない」
 法水はちょっと身振をして皮肉な嘆息をしたが、検事をまじまじと見詰めはじめて、「どうして、僕はヒルシュじゃあるまいし……。ダンネベルグ夫人をそれほど神秘的な英雄めいた――例えばスウェーデンボルグやオルレアンの少女《おとめ》みたいな、慢性幻覚性偏執症《パラノイア・ハルツィナトリア・クローニカ》だと云うわけじゃないのだよ。ただ、夫人のある機能が過度に発達しているので、時偶《ときたま》そういう特性が、有機的な刺戟に遇うと、感覚の上に技巧的な抽象が作られてしまう。つまり、漠然と分離散在しているものを、一つの現実として把握してしまうのだ。それに支倉君、フロイドは幻覚というものに、抑圧されたる願望の象徴的描写――という仮説を立てている。勿論夫人の場合では、それが算哲の禁断に対する恐怖――つまり云うと、レヴェズとの冒してはならぬ恋愛関係に起源を発していたのだ。それだから、犯人が夫人の幻覚を予期し得る条件としては、当然その間の経緯《いきさつ》を熟知していなければならない。また、ひいてはそれが一案を編み出させて、屍体蝋燭に水晶体凝視《クリスタル・ゲージング》を起すような、微妙な詭計を施した。それで、夫人を軽い自己催眠に誘ったのだったよ。ところが支倉君、その潜勢状態という観念が、僕に栄光を与えてくれた……」
 そう鋭く言葉を截ち切って、それから黙々と考えはじめたが、そのうち幾つかの[#「幾つかの」は底本では「幾つかのの」]莨《たばこ》を換える間に、法水は一つの観念を捉え得たらしかった。彼は、旗太郎・セレナ夫人・伸子の三人を至急|喚《よ》ぶように命じてから、再び礼拝堂に降りて行った。人気
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