に含まれているんだからね。サア、これから温室へ行こう。もしかしたら、最近そこへ出入りした人物の名が、判るかもしれないから……」
 法水が目指したところの温室と云うのは、裏庭の蔬菜園の後方にあって、その側《かたわら》には、動物小屋と鳥禽舎《ちょうきんしゃ》とが列《なら》んでいた。扉《ドア》を開くと、噎《むっ》とするような暖気が襲ってきて、それは熱に熟れた、様々な花粉の香りが――妙に官能を唆《そそ》るような、一種名状しようのない媚臭で、鼻孔を塞いでくるのだった。入口には、いかにも前史的なヤニ羊歯《しだ》が二基あって、その大きな垂葉を潜って凝固土《たたき》の上に下りると、前面には、熱帯植物特有の――たっぷり樹液でも含んでいそうな青黒い葉が、重たそうに繁り冠さり合い、その葉陰の所々に、臙脂《えんじ》や藤紫の斑が点綴《てんてつ》されていた。しかし、間もなく灯の中へ、ちょっと馬蓼《いぬたで》に似た、見なれない形の葉が現われて、それを法水はヤポランジイだと云った。ところが、調査の結果は、はたして彼の云うがごとく、その茎には六個所ほど、最近に葉をもぎ取ったらしい疵跡《きずあと》が残されていた。すると、法水は眉間を狭めて、みるみるその顔に危惧《きぐ》の色が波打ってきた。
「ねえ、支倉君、六引く一は五だろう。その五には毒殺的効果があるのだよ。しかし、いまの伸子の場合には、六枚の葉全部が必要ではなかったのだ。つまり、十分〇・〇一くらいを含んでいる一枚だけで、あの程度の発汗と発音の不正確を起すことが出来るのだからね。すると、犯人がまだ握っているはずの五枚――。その残りに、僕は犯人の戦闘状態《ステート・オブ・ウォア》を見たような気がするのだよ」
「ああ、なんという怖ろしい奴《やつ》だろう」と神経的な瞬《またた》きをして、熊城もこころもち顫《ふる》えを帯びた声で云った。
「僕は毒物というものの使途に、これまで陰険なものがあろうとは思わなかったよ。どうして、あの冷血無比なファウスト博士でなけりゃ、残忍にも、これほど酷烈な転課手段を編み出せるもんか」
 検事は側《かたわら》を振り向いて、一行を案内した園芸師に訊ねた。
「最近に誰か、この温室に出入りした者があったかね」
「い、いいえ、この一月ばかりは誰方《どなた》も……」とその老人は、眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って吃《ども》ったが、検事を満足させるような回答を与えなかった。それに法水は、押しつけるような無気味な声音で追求した。
「オイ、本当の事を云うんだ。広間《サロン》にある藤花蘭《デンドロビウム・ティルシフロルム》の色合わせは、ありゃ、たしか君の芸じゃあるまいね」
 この専門的な質問は、ただちに驚くべき効果をもたらした。まるで老園芸師は、あたかもそれ自身が弓の弦《つる》ででもあるかのように、法水の一打で思わず口にしてしまったものがあった。
「しかし、傭人という私の立場も、十分お察し願いたいと思いまして」と訴えるような眼で、憐憫《あわれみ》を乞うような前提を置いてから、怯《お》ず怯ず二人の名を挙げた。「最初は、あの怖ろしい出来事が起りました当日の午後でございましたが、その時旗太郎様が珍しくお見えになりました。それから、昨日《きのう》はセレナ様が……、あの方は、この乱咲蘭《カテリア・モシュ》をたいそうお好みでございまして。ですが、このヤポランジイの葉だけは、仰言《おっしゃ》られるまでいっこうに気がつきませんでした」
 矮樹《わいじゅ》ヤポランジイの枝に、二つの花が咲いた。すなわち、最も嫌疑の稀薄だった、旗太郎とセレナ夫人にも、一応はファウスト博士の、黒い道士服を想像しなければならず、したがってあの血みどろの行列は、新しい二人を加えることになってしまった。こうして、事件の二日目は、まさに奇矯変態の極致とも云うべき謎の続出で、恐らくその日が、事件中紛糾混乱の絶頂と思われた。のみならず、関係人物の全部が、嫌疑者と目されるに至ったので、その集束がいつの日やら涯《はて》しもなく、ただただ犯人の、迷路的頭脳に翻弄《ほんろう》されるのみだった。
 その二日後――ちょうどその日は黒死館で、年一回の公開演奏会が開催される当日であったが、検事と熊城は、法水の二日にわたる検討の結果を期待して、再び会議を開いた。それが、古めかしい地方裁判所の旧館で、時刻はすでに三時を廻っていた。しかし、その日の法水には、見るからに凄愴《せいそう》な気力が漲《みなぎ》っていた。すでに一つの、結論に達したのではないかと思われたほど、顔は微かに熱ばんで、その紅潮には動的《ダイナミック》なものが顫《ふる》えている。法水は軽く口をしめしてから、切り出した。
「ところで僕は、一々事象を挙げて、それを分類的に説明してゆくことにする。そ
前へ 次へ
全175ページ中137ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング