ネ。かえって僕は、アリオンを救った方が、音楽好きの海豚《いるか》の義務ではないかと思うのですよ」
「なに、音楽好きの海豚《いるか》ですって※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」居並んでいる一人が憤激して叫んだ。その男は左端に近い旗太郎の直下にいた、大田原末雄というホルン奏者であった。「よろしい、アリオンは既《とう》に救われているんですぞ。しかし、僕の位置が位置だったので、鹿常君の云うその気配というのは聴えませんでした。けれども、かえってこのお二人に近かっただけに、完全な動静を握っていると云っても過言ではないのですよ。法水さん、僕もやはり異様な唸《うな》りを聴きました。それは、呻《うめ》き声が起ると同時に杜絶えましたが……、しかしその音は、旗太郎さんが左|利《きき》で、セレナ夫人が右|利《きき》である限り、弓《キュー》の絃《いと》が、斜めに擦れ合って起ったものに相違ないのですよ」
その時セレナ夫人は、皮肉な諦《あきら》めの色を現わして法水を見た。
「とにかく、この対照の意味が非常に単純なだけに、かえって皮肉な貴方には、評価が困難なのでございましょう。けれども、御自分の慣性以外の神経で、もし判断して頂けるのでしたら、きっとあの賤民《チゴイネル》に、クラカウ([#ここから割り注]伝説におけるファウスト博士が、魔術修行の土地[#ここで割り注終わり])の想い出が輝くに相違ございませんわ」
そうして、一同が出て行ってしまうと、熊城は難色を現わして、法水に毒づいた。
「いやどうも呆れたことだ、むしろ与えられたものを素直に取る方が、君に適わしい高尚な精神だと思うんだがね。それより法水君、今の証言で、君が先刻《さっき》云った武具室の方程式を憶い出してもらいたいんだ。あの時君は、[#ここから横組み]2−1=クリヴォフ[#ここで横組み終わり]だと云ったね。しかし、その解答のクリヴォフが殺されたとしたら……」
「冗談じゃない。あんな|賤民の娘《チゴイネル・ユングフラウ》が、どうして、この宮廷陰謀の立役者なもんか」と法水は力を罩《こ》めて云い返した。
「なるほど、伸子という女はすこぶる奇妙な存在で、ダンネベルグ事件と鐘鳴器《カリリヨン》室を除いた以外は、完全に情況証拠の網の中にあるのだ。しかし、あの標本的な人身御供《ひとみごくう》があるがために、ファウスト博士は陽気な御機嫌を続けていられる
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