カっ》と動悸《どうき》を押えて耳を澄ましていると、どこかこの室《へや》の真近から、ちょうど瀬にせせらぐ水流のような、微かな音が聴えてくるのだった。と、その矢先、壇上の一角に闇が破られて、一本の燐寸《マッチ》の火が、階段を客席の方に降りてきた。それから、ほんの一|瞬《とき》であったが、血が凍り息窒《いきづ》まるようなものが流れはじめた。しかし、その光が、妖怪めいたはためきをしながら、しきりと床上を摸索《まさぐ》っている間でも、法水の眼だけはその上方に※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》かれていて、鋭く壇上の空間に注がれていた。そして、闇の中に一つの人容《ひとがた》を描いて、じいっと捉まえて放さない幻があった。
仮令《よしんば》犠牲者は誰であっても、その下手人は、オリガ・クリヴォフ以外にはない。しかも、あの皮肉な冷笑的な怪物は、法水を眼下に眺めているにもかかわらず、悠々《ゆうゆう》と一場の酸鼻《さんび》[#ルビの「さんび」は底本では「さんぴ」]劇を演じ去ったのである。恐らく今度も、矛盾撞着が針袋のように覆うていて、あの畏懼《いく》と嘆賞の気持を、必ずや四度《よたび》繰り返すことであろう。しかし、擲弾《てきだん》の距離はしだいに近づいて、すでに法水は、相手の心動を聴き、樹皮のように中性的な体臭を嗅《か》ぐまでに迫っていたのだ。ところが、その矢先――焔の尽きた※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《うずみび》が弓のように垂《しな》だれて、燐寸《マッチ》が指頭から放たれた。と、キァッという悲鳴が闇をつんざいて、それが伸子の声であるのも意識する余裕《ゆとり》がなく、法水の眼は、たちまち床の一点に釘づけされてしまった。
見よ――そこには硫黄のように、薄っすら輝き出した一幅の帯がある。そして、その下辺のあたりから、幾つとない火の玉が、チリチリと捲き縮んでいって、現われてはまた消えてゆくのだった。しかし、それに眼を止めた瞬間、法水のあらゆる表情が静止してしまった。彼の眼前に現われた一つの驚くべきもの以外の世界は――座席の背長椅子《バルダキン》も、頭上に交錯《くみかわ》している扇形の穹窿《きゅうりゅう》も、まるで嵐の森のように揺れはじめて、それ等がともども、彼の足元に開かれた無明の深淵の中へ墜ち込んでゆくのだった。実に、その消え行く瞬間の光は、斜めに傾《かし》い
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