オ》の中に突っ込まれてあったのですわ。私は、それをレヴェズ様にだけお話しいたしました。ですからきっとあの方が、それを貴方がたに密告したに相違ございませんわ」
「いや、あのレヴェズという人物には、今どき珍しい騎士的精神があるのですよ」と静かに云いながら、法水は怪訝《けげん》そうに相手の顔を瞶《みつ》めていたが、「しかし、本当の事を云うんですよ。伸子さん、あの札はいったい誰が書いたのですか」
「私、存――存じません」と伸子は、救いを求めるような視線を法水の顔に向けたが、その時、彼女の発汗がますますはなはだしくなって、舌が異様にもつれ、正確に発音することさえ出来なくなってしまった。その――犯人伸子の窮境には、思わず熊城を微笑《ほほえ》ましめたものがあった。ところが、法水はさながら冷静そのもののような態度で、ややしばし、伸子の額に視線を降り注ぎ、顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》に脈打っている、繩のような血管を瞶《みつ》めていた。が、ふと額の汗を指で掬《すく》い取ると、彼の眉がピンと跳ね上って、
「こりゃいかん。解毒剤《げどくざい》をすぐ!」と、この状況に予想もし得ない意外な言葉を吐いた。そして、咄嗟《とっさ》の逆転に何が何やら判らず、ひたすら狼狽しきっている熊城等を追い立てて、伸子の身体を愴惶《そうこう》と運び出させてしまった。
「あの発汗を見ると、たぶんピロカルピンの中毒だろうよ」と暫時《しばらく》こまねいていた腕を解いて、法水は検事を見た。が、その顔には、まざまざと恐怖の色が泛《うか》んでいた。「とにかく、あの女が、地精《コボルト》の札《ふだ》を僕等が発見したのを、知る気遣いはないのだから、勿論自殺の目的で嚥《の》んだのではない。いや、たしかに嚥まされたんだよ。それも、けっして殺すつもりではなく、あの迷濛状態を僕等の心理に向けて、伸子に三度目の不運をもたらそうとしたに違いないのだ。ねえ支倉君、それが三段論法の前提となるのも知らずに、あるものを非論理的だと断ずることは出来まい。すると、伸子とピロカルピン――つまりその前提としてだ。まず、壁を抜き床を透かしてまで、僕等の帷幕《いばく》の内容を知り得る方法がなけりゃならん訳だ。ああ、実に恐ろしいことじゃないか。先刻《さっき》この室《へや》で交した会話が、ファウスト博士には既《とう》に筒抜けなんだぜ」
 事
前へ 次へ
全350ページ中271ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング