黷ス武具室の窓だっても、ちょうどあの辺だけが、美男桂の籬《いけがき》に遮られているのです。ですから、ああいう動物曲芸のあった事さえ、私はてんで知らなかったのです」
「でも、夫人の悲鳴だけは、お聴きになったでしょうな」
「勿論聴きましたとも」それがほとんど反射的だったらしく、伸子は言下に答えた。けれどもその口の下から、異様な混乱が表情の中に現われてきて、俄然声に慄《ふる》えを帯びてきた。
「ですけど、どうしても私は、あの樹皮亭《ボルケン・ハウス》から離れることが出来なかったのです」
「それは、また何故にです? だいたいそういう事が、根もない嫌疑を深めることになるんですぞ」熊城はここぞと厳しく突っ込んだが、伸子は唇を痙攣《けいれん》させ、両手で胸を抱いてからくも激情を圧えていた。しかし、その口からは、氷のように冷やかな言葉が吐かれた。
「どうしても、申し上げることは出来ません――この事は何度繰り返しても同じですわ。それより、ちょうどクリヴォフ様が、悲鳴をおあげになる一瞬ほど前のことでしたが、私はあの窓の側《かたわら》に、実は不思議なものがいるのを見たのですわ。それは、色のない透明《すきとお》ったものが光っているようでいて、そのくせどうも形体《かたち》の明瞭《はっきり》としていない、まるで気体のようなものでした。ところが、その異様なものは、窓の上方の外気の中から現われて来て、それがふわふわ浮動しながら、斜めにあの窓の中へ入り込んで行くのでした。その一瞬後に、クリヴォフ様が裂くような悲鳴をおあげになりました」と伸子は、まざまざ恐怖の色を泛《うか》べて、法水の顔を窺《うかが》うように見入るのだった。「最初私は、レヴェズ様があの際にいらっしゃったので、あるいは、驚駭噴泉《ウォーター・サープライズ》の飛沫かなとも思いました。でも考えてみますと、だいたい微風さえもないのに、飛沫が流れるという気遣《きづか》いはございませんわね」
「ふん、またお化《ばけ》か」と検事は顔を顰《しか》めて呟《つぶや》いたが、同時に唇の奥で、それとも伸子の虚言《うそ》か――と附け加えたのは当然であろう。しかし、熊城はただならぬ決意を泛《うか》べて立ち上った。そして、厳然と伸子に云い渡したのだった。
「とにかく、この数日間の不眠苦悩はお察ししますが、しかし今夜からは、充分よく眠られるように計らいましょう。だい
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