大池のある風景が眼下に見える。それには、造園技巧がないだけに、却ってもの鄙びた雅致があった。
小石川清水谷の坂を下ると、左手に樫や榛《はしばみ》の大樹が欝蒼と繁茂している――その高台が劫楽寺だ。周囲は桜堤と丈余の建仁寺垣に囲まれていて、本堂の裏手には、この寺の名を高からしめている薬師堂がある。胎龍の屍体が発見されたのは、薬師堂の背景をなす杉林に囲まれた、荒廃した堂宇の中であった。
三尺四方もある大きな敷石が、本堂の横手から始まっていて、薬師堂を卍形に曲り、現場に迄達している。堂は四坪程の広さで、玄白堂と云う篆額《てんがく》が掛っているが、堂とは名のみのこと、内部《なか》には板敷もなく、入口にもお定まりの狐格子さえない。そして、残りの三方は分厚な六分板で張り詰められ、それを、二つの大池をつなぐ池溝が、馬蹄形になって取り囲んでいる。更に堂の周囲を説明すると、池溝は右手の池の堰から始まっていて、それが、堂の後方をすぎて馬蹄形の左辺にかかる辺り迄は、両岸が擬山岩の土堤になっている。樹木は堂の周囲にはないが、前方に差し交した杉の大枝が陽を遮っているので、早朝ホンの一刻しか陽が射さず、周囲は苔
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