を保つ事が出来たのだ。おまけに、蝋受の皿がペッタリと冠《かぶ》さったので、流血が略々火山型に凝結してしまったと云う訳なんだよ。さてそれから、薬師堂の扉を開け放して提灯を点し、目撃者を作った事は云う迄もないが、久八が通り過ぎたのを見定めると、今度は胎龍の日和下駄を履いて、坐像の屍体を玄白堂に運び入れたのだ。つまり、支倉君が少し溝が深いと云ったのは、その時の足跡なので、帰りは裸足《はだし》で石の上から左壁近くに跳び、その足跡をすぐ、池溝の堰を開いて消したのだ。そうして厨川君は、犯行の全部を終ったのだよ」
「成程、それで提灯を灯した理由が判る」
「ウン、あれには、すんでの事で瞞される所だった。全く自然な陰蔽方法だからな」法水は擽《くすぐ》ったそうに苦笑した。
「何しろ、血に染んだ個所と云うのが、鉄芯から蝋受皿の内側にかけてだけだろう。だから、その部分を洗ったにした所で、後で蝋燭を鉄芯の間際迄灯すから、尖鋭な槍先から下の不自然な部分が流れる蝋ですっかり隠されてしまう。併し、それを吊して人目に曝したのは、狡猾な擾乱手段に過ぎないのだ」
「すると、堰を切ったのも厨川だろう」
「そうだ。久八が堂の前を通ると、すぐに灯を消して池の畔へ出たのだ。それは、喬村君と柳江が毎夜会うのを知っていたので、それを利用して、僕等の視線を喬村君に向けようとしたからだ。所で厨川君は、最初に久八の犬の鎖を解いて池畔で放し、その鳴声に依って久八を誘き出してから、今度もまた向う岸で、線香花火を使ったのだよ。前以って血粉を混ぜたのを一本作って置いて、それに点火したのだが、血粉が溶けるので松葉火が出ず、一塊の火団となって池の中へ落ちたのだ。つまり、それが喫い終った莨を捨てたと見た、あの目撃談の正体なんだよ。しかしその時、厨川君は見当を付けて昼間のうち一本水浸しにして置いた、タパヨス木精蓮《レセタばす》の中へ落したのだよ。そうすると、血の臭気で蛭が集まって来る。そこへ、堰を開いて水面を低下したので、朝になって、残っていた蛭が花弁に包まれてしまったのだ。玄白堂内の足跡を消す以外に、厨川君には斯う云う陰険策があったのさ。多分僕を目標に計画した事なんだろうが、事実僕も、喬村君の影をどうしても払い切れなかったのだ」と云ってから、朔郎に向き直って、「然し、君は何故に喬村君を陥れようとしたのだね。それに胎龍を殺害した動機と云うのは? 幾ら僕でも、君の心中の秘密だけは判らんからね」
朔郎は、囚われた犯罪者とは到底思われぬような、澄み切った瞳を向け、冷静な言葉で云った。
「僕は父の復讐をしたのです。父は胎龍と年雅塾の同門だったのですが、官展の出品で当選を争った際に、胎龍は卑怯な暗躍をして、父を落選させ自分が当選しました。父はそれを気に病んでから発狂し、一生を癲狂院で終ってしまいました。ですから子たる私は、どうしても眼で眼に酬いてやらねばならなかったのです。それから、喬村には理由はありません。ただ、動機と目される様な行為を続けていたので、それを利用したに過ぎなかったのでした」
と云い終るが早いか、朔郎は突然身を飜えして、背後にある配電函《キャビネット》の側に駈け寄った。硝子がパンと砕けると同時に法水は思わず眼を瞑《つぶ》った。閃光が瞼を貫いて、裂く様な叫声を聴いたが、一瞬後の室内は、焦げた毛の臭が漂うのみで、さながら水底の様な静寂《しずけさ》だった。顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》に高圧電流をうけて、此の若い復讐者は再び蘇生する事がなかったのである。
底本:「二十世紀鉄仮面」桃源社
1969(昭和44)年5月10日発行
入力:酔尻焼猿人
校正:土屋隆
2004年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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