まりで、それなり本堂へ戻って来ず、今朝六時半になって寺男の浪貝久八がこの堂内で屍体を発見したのだ。それに、境内は四の日の薬師の縁日以外には開放されないのだし、建仁寺垣の内側にも、越えたらしい足跡はないし、周囲の家を調べてみても、不審な物音や叫び声は一向に聴かなかったと云う。また、胎龍と云う人物は、歌と宗教関係以外には交渉の少ない人で、怨恨等はてんで外部に想像されない許りでなく、この三月程の間は外出もせず、絶対に人と遇わなかったそうだよ。それでなくても、犯人寺内説を有力に証明しているのは、この雪駄が被害者の所有品だと云う事なんだ」そう云ってから、熊城は大仰な咳払いをして、「だから法水君、鳥渡考えただけでは、僕等は全然、この曲芸的《アクロバチック》な殺人技巧に征服されているようだ。けれども、その実質となると、たかが五から四を引くだけの、単純な計数問題に過ぎないのだよ」
法水は真剣な態度で聴いていたが、
「勿論犯人は寺内にある。所で、君はいま、胎龍が三月許り誰にも遇わなかったと云ったね」と尤もらしい歯軋りをして、まるで夢見るように、視線を宙に馳せた。「すると、やはりあれかな。いや断じてそれ以外にはない」
「と云うと、何を考え付いたのだ?」
「大した事じゃないがね。僕は地史学者じゃないが、一つの骨片を発見したのだよ。それで、骨格の全貌だけでも想像付くと云うものさ」
「フム、そうすると」
「と云って、指紋のような直接犯人の特徴を指摘出来るものではない。今も云った通り、屍体の謎を貫いている凄まじい底流なんだ、つまり殺人技巧の純粋理論なんだが、その軌道以外には、この変種が絶対に咲かない事を記憶して欲しいと思うね」
「冗談じゃない」検事は眼を円くした。「僕等の発見は遂に尽きている筈だぜ。そして、流血の形態《かたち》一つだけでも、兇器の推定が困難な位だ。だがそれより、創傷《きず》の成因が君の説の通りだとすれば、当然この屍体に、驚愕恐怖苦痛等の表出がなけりゃならんがね」
法水は検事を凝然《じっ》と見返して、屍体の顔面を指差した。
「その解答がこれさ――つまり、一本の脈線なんだよ。屍体の謎が各自に分裂したものでない感じはしていても、今迄はそれに漠然とした観念しか持てなかったのだ。所が、そう云う不可解現象の象徴《シンボル》とでも云いたいものがある。顔面にその形体化したものが現われている
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