った。
 柳江が去ると、熊城は妙な片笑いを泛べて、
「聴かなくても、君には判っているのだろう」
「サア」法水は曖昧な言葉で濁したが、「然し、似れば似たものさ。勿論偶然の相似だろうが、この顔が実に伎芸天女そっくりだとは思わんかね」
「それより法水君」検事が莨を捨てて坐り直した。「君は何故、押絵の左眼を気にしているんだ?」
 それを聴くと、法水は突然《いきなり》熊城を促して閾際に連れて行き、板戸を少し開いて云った。
「では、実験をする事にしようかな。昨夜、此の室に秘《こ》っそり侵入したものがあって、その時眼の膜がどうして落ちたかと云う……」
 そして、彼自身がまず閾の上に乗って力を加え、片手で板戸を押したが、板戸は非度い音を立てて軋った。所が、次に熊城を載せると、今度は滑らかに走る。と同時に、押絵を見ていた検事がウーンと唸った。
「どうだい。閾《しきい》の下った反動で長押の押絵がガクンと傾いたろう。その機《はず》みに剥れかかっていた膜が落ちたのだよ。熊城君は十八貫以上もあるだろうが、僕等程度の重量では、戸が軋らずに開く程閾が下らない。つまり、戸を軋らさせずこの室に入る事の出来る者は、熊城君と同量以上――即ち朔郎か或は二人分以上の重量でなければならないのだ」
 二人分――それは犯人と屍体とを意味する。果して一人か二人か? そして、此の室で何事が行われたのだろう? それとも眼膜剥落は、法水の推測とは全然異なる経路に於いて、起されたのではないだろうか? と様々な疑問が、宛ら窒息させん許りの迫力で押し被さって来る。が、その空気は間もなく空闥に依って破られた。この老達な説教師は、摩訶不思議な花火を携えて登場したのであった。
 空闥と云う五十恰好の僧侶には、被害者と略々《ほぼ》同型の体躯が注目された。僧侶特有の妙にヌラめいた、それでいて何処か図太そうな柔軟《ものやわらか》さで、巧みな弁舌を弄んで行くけれども、容貌は羅漢宛らの醜怪な相で、しかも人参色の皮膚をしている――その対照が非度く不気味なのだった。彼は問に応じて、――夕食後の七時半から八時頃迄の間は、檀家葛城家の使者と会談し、それから同家に赴いて枕経を上げ、十時過ぎ帰宅したと云う旨を述べ終ると、俄かに襟を正し威圧せん許りな語気になって、この事件の鍵は、俗人には見えぬ法《のり》の不思議にある――と云い出した。そして、眼を瞑じ珠数を
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