出て一年遊び、翌大正八年五月から十一年二月まで、横浜山下町一五二番地、メーナード・エス・ジェソップ商会というのに勤めていた。この店は、ブロンズ扉《ドア》や、ボード・ジョインターや特殊錠、欄間《らんま》調整器などの建築金具を輸入し、輸出のほうは、印度、蘭印方面へ日本雑貨を向けていた。もちろん僕は雑貨掛りのほうであった。
ところが、大正十年十一月九日、年に一度は、顧客《とくい》廻りに出かけるジェソップ氏の伴をして、はじめて北回帰線を越えカルカッタに上陸した。
印度《インド》だ。
頭被《ターバン》、綿布、Maharajah《マハラジァ》 の国だ。僕は、象に乗り|蛇使い《スネークチャーマー》を見、Lingam《リンガム》 の、散在する印度教寺院を見歩いた。しかし、そのバトナやカルカッタにはなんの物語もない。それから、汽車で南行、中部印度のプーリという町にきてはじめてこの話が起る。
そこの宿は、ホテル「|風の宮《ウインド・パレス》」という洒落《しゃれ》た名であったが、部屋は、Apadravya《アパドラヴィヤ》 という裏町に向いて汚い。
露台が、重なり合っている狭くるしい通りは、また、
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