轤チたようになり、観念の色がなに事かを決めようとしました。
 とその時、通りのどこかでワアッと喚声があがると、数発の、銃声とともにおそろしい音が部屋に起りました。窓|硝子《ガラス》が木葉《こっぱ》微塵となり、どこか、蒲団《マット》のしたからキナ臭い匂いが立ちのぼってきます。
 その瞬間、せっかくの機会《チャンス》がぶち壊れてしまったばかりか、ミス・ヘミングウェーは、恐怖に駆られワアッと泣きながら、地下室の酒倉へ逃げ込んでしまったのです。
 つまりこれは、カリーの女神の嘉《よみ》し給わなかったことでしょうか。それからも、ミス・ヘミングウェーは相変らずの態度で、おお機会《チャンス》と、叫ばせられたのも何度かありました。が、私には、印度教徒の戒律を思わぬわけには、ゆきません。最初の夜の、神意的破壊的の銃声が、もし啓示としたならばこの次はどうでしょう。
 ああ、O'Grie《オーグリー》、煩悩《ぼんのう》はたけり、信仰は脅かす。精進潔斎《しょうじんけっさい》のその日に、女人《にょにん》を得ようとしたのは、返す返すも悲しいめぐり合わせでした。
 私はそれから、来る日来る日うつらと送りましたが、しかし、希望はまだ九日目にあります。精進明けの、その日には何事も自由です。そして雨も、その前々夜にはからっと上がり、町にはすでに火薬の匂いもありません。朝の風が、黍《きび》畑をひたす出水のうえを渡り、湿原で鳴く、印度|犀《さい》の声を手近のように送ってきます。ヘミングウェー嬢は、この朝|高台公園《ハイ・パーク》の遊歩場へゆき、八時頃には、木蔭を縫う馬蹄の響が聴えてきました。
 そこで私は、とって降した彼女の手をかるく握りますと、どうでしょう、そのうえにピシリと鞭が降りました。
 ああ、私はとたんに自己を失い……思わぬ変り方、あまりな恥辱にそのまま面《おもて》を伏せ、ホテルには入らず一目散に駈け出しました。
 それからの放浪です。
 私はつくづく、祭、祭に縛られる印度《インド》民族が厭になり、と云って、遠い祖先の収穫をいのる声がふり※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]《もぎ》ろうとしてもどうしても離れないのです。おお、O'Grie《オーグリー》、なに事にも印度民族はこのディレンマに困《くる》しめられます。信教と、民族発展とに背反するものを持つ……。
 おお、O'Grie《オーグリー》
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