ヘ居りません」
「ああ、なんだ、チャンドさんか」
しかし私は、爽やかな、処女を粧《いろど》るさまざまな香りに、こう隣ったことを、たいへん有難く思いました。
とやがて、
「チャンドさん」
と羞《はじ》らったような声で、
「ちょっと、あんたにお願いがあるんだけど、……実はパドミーニがいないんで、お願いするんだけど……、そこにある、三角海綿《ルーファ》をここへ持ってきてくれない?」
とたんに、私は、ぱちぱちっと瞬きました。ゆらゆら、鍵穴を洩れる湯気が、肢体のように妖《あや》しく見えます。
「でも……」と、やっと返辞はしたが、子供のような答えです。すると、ヘミングウェー嬢は、
「アラ、厭なの。じゃ、何かそこでしていんじゃない? 抽斗《ひきだし》や、下着入れを覗いているんだったら、今のうちに蔵《しま》うことよ……」
やがて私は、パドミーニが出しわすれていた三角スポンジを手に、把手《ノッブ》をやんわりとひねっていました。が、実のところは、動作に現われているような、そんな落着きはないのです。
(なにを……ミス・ヘミングウェーのこれは、意味するのだろう。処女が、娘の媚態ともいう羞恥心を捨ててまで、自分に、浴室に入れとは、戯れだけと云えないことだ。)
と、妙な自負心に、私はからだ中浮いてしまったように……ああ、|Mr. O'Grie《ミスター・オーグリー》[#「Mr. O'Grie」は底本では「Mr. O,Grie」]、嗤《わら》いますね。が、それも、あなたはミス・ヘミングウェーを知らないからです。
つぶらな瞳《ひとみ》、弾力のあるふっくらとした頬《ほほ》、顔もからだも、ほどよく締っていて、弾《はず》みだしそうです。
神品ですよ。触れようとしても出来ぬものはことごとく神品です。
私は……だが、いかなる場合でも、ブリスコーの生徒でした。
「じゃ、ここへ置きますから」
「そう。有難う。でも、ちょっとの間《ま》なら、ここにいてもいいわ」
私の、そのときの驚きは何ものに例えようもありません。しかし、ミス・ヘミングウェーは、続けさまに云うのです。
「どう私、頭のほうもそう悪かァないでしょう。湯気で、あんたの眼鏡が曇って、なにも見えないのを知ってるんだから。見えて? ……私が、いま、どんなことをしているか」
と、はげしい湯の音がして飛沫《しぶき》がかかると、淡紅色《ときいろ》
前へ
次へ
全11ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング