ヘ、御覧の通り、混血児のそのままのものが現われてしまったのです。
 所が、日本に連れて来られてからと云うものは、日増し私には、郷愁が募って参りました。あの濃碧の海、同じ色のような空――街中はひっそり閑としていて、塔があちこちに聳え、時折は家毎の時計が、往還の真中でさえ聴こえる事が御座います。ねえ法水様、北イタリー特有の南風《フェーン》が吹き出す頃になると、チロルの聯隊では、俄かに傷害沙汰が繁くなるとか申します。けれども、まったく土の肌、大気の香りと云うものには、事実、云うに云われぬ神秘な力があるものですわね。
 で、いつのまにか私は、あの荒凉たる淋しさを、どうする事も出来なくなってしまいました。外面は、さぞ懆《はしゃ》ぎおごっているように見えましたろうけれど、絶えず私は、体内に暴れ狂っている雨風を凝と見詰め、どうしたらいいか――それのみ考え続けて居りました。そうして遂に、私にとれば枷に等しい風間を葬って、あの懐かしい土を、再び蹈もうと決心致しました。
 ですから、幡江さんを手にかけたのは、父のない私の、本能的な嫉妬なので御座います。父と娘――あの血縁の神秘は、それを欠いているものにとれば、寧ろ嘲けりに過ぎません。
 どうか法水様、いつまでも私をお憶い出し下さいませ。そうして、その時はきっと、あの古びた街《まち》の幻影《まぼろし》をお泛かべ下さいますよう……。



底本:「二十世紀鉄仮面 小栗虫太郎全作品4」桃源社
   1979(昭和54)年3月15日発行
底本の親本:「二十世紀鉄仮面」桃源社
   1971(昭和46)年11月15日初版
初出:「改造」改造社
   1935(昭和10)年2月号
※明らかに誤植と思われる箇所は、「オフエリヤ殺し 覆刻」沖積社 2000(平成12)年11月25日発行に基づいて修正し、入力者注を付しておきました。
※「In his costumes he recites」中の「Hinder」は、底本では「Hirder」となっています。
入力:ロクス・ソルス
校正:土屋隆
2007年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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