スのだったけれども、合憎《あいにく》二人とも、開閉《スイッチ》室に入っていたので、その隙に何者が入り来ったものか、知る由もなかった。
 然し、調査は簡単に終って、三人は法水の楽屋に引き上げた。
「とにかく、犯人が未知のものでないだけでも、助かると思うよ」
 検事は椅子にかけると、すぐさま法水を振り向いて云った。
「つまり、この事件の謎と云うのは、却って犯罪現象にはない。むしろ、風間の心理の方に、あるのじゃないかね。真先に、殺すに事かき自分の愛児を殺すなんて、どうも風間の精神は、常態でないような気がする」
「うん」熊城は、簡単に合槌を打った。
 が、法水は椅子から腰をずらして、むしろ驚いたように、相手を瞶めはじめた。
「なるほど支倉《はぜくら》君、君と云う法律の化物には、韻文の必要はないだろう。然し、さっきの告白悲劇はどうするんだい。あの悲痛極まる黙劇《パントマイム》の中で、幡江が父に、何を訴えたかと思うね」
「なに、告白悲劇……とにかく、冗談は止めにして貰おう」
 と棘々《とげとげ》しい語気で、熊城が遮った。
「どうして冗談なもんか。現に前の幕で、オフェリヤは一々花を取り違えたじゃないか。然し、決してそれは、幡江の錯乱が生んだ産物ではないのだよ。あの女の皮質たるや、実に整然無比、さながら将棋盤の如しさ。ねえ熊城君、僕はエイメ・マルタン([#ここから割り注]花言葉の創始者[#ここで割り注終わり])じゃないがね。人は自分の情操を書き送るのに、強《あな》がちインキで指を汚すばかりじゃない。それを花に托《かこつ》けて、送る事も出来るだろうと思うのだよ」
 そう云って法水は、机の蔭から取り出した花束を、卓上に置いた。二人はその色や香りよりかも、法水が繰り拡げて行く、美しい霧に酔わされてしまった。
「君達にも、記憶が新しいだろうとは思うが、幡江は幕切れの際に、父の最期と云い、これだけの花を舞台に撒き散らしたのだ。最初は花葛《フラワー・クリーパー》――夜も昼も我が心は汝が側にあり――さ。次は木犀草《ミニヨネット》、これは、吾が悩みを柔げんは、御身の出現以外にはなし。それから、尋麻草《ネットル》――貴方は余りに怨深くいらっしゃる。そして、幡江は最後に、この翁草《アネモネ》と紅鳳仙花《レッド・バルサム》とで、結び付けたのだよ。あの女は、|許して下さい《フォア・ギブ・ミイ》、|私にだけ触れないで《タッチ・ミイ・ナット》――と叫んだのだ」
「許してくれ――成程、よく判った」そう云って検事は、皮肉な微笑を法水に投げた。
「然し、それだけでは、決して深奥だとは云われない。第一それでは、風間が吾が子を殺さねばならなかった心理が説明されていない」
「それから王妃の衣川暁子には、二つの花の名を云ったにも拘らず、折れた|雪の下《サクジフルージ》を渡した……」
 検事の抗議にも関《かか》わらず、法水はずけずけと云い続けた。
「それは折れた母の愛――なんだよ。ねえ支倉君、この譬喩《ひゆ》の峻烈味はどうだね。
 それから、レイアティズの小保内精一には、白蠅取草《ホワイト・キャッチフライ》と黄撫子《エロー・カーネーション》を渡して、恥じよ、裏切者――と云い渡しているのだし、
 あの方と云って、その場にいないポローニアス役の淡路研二には、仏蘭西金※[#「(浅−さんずい)/皿」、237−上−5]花《フレンチ・マリゴールド》と蝗豆草《ローカスト》を渡して、復讐《リヴェンジ》、|地下から報い《アフェクション・ビヨンド・グレーヴ》[#ルビの「アフェクション・ビヨンド・グレーヴ」は底本では「アフェクション・ビヨン・グレーヴ」]――と叫んでいる。
 勿論その二人には、風間に対する裏切者と云う意味の、風刺を送った訳だが、寧ろそれは、主謀者だったロンネに送られねばならないだろう。
 所がまた、王に扮したあの男に、渡した花と云うのが、頗る妙なんだよ。第一に、紫丁香花《パープル・ライラック》――これは初恋のときめきだ。それから花箪草《フラワー・マッシュルーム》は、もう信ぜられぬ――と云う意味なんだし、最後には、|紅おだまき《レッド・カラムバイン》を渡して、怖るべき敵近づけり――と警告を発しているのだ。
 それを見ると、二人は曽て恋仲であり、最近には疎んぜられていたにも拘らず、なおかつ幡江は、ロンネの身を庇《かば》おうとしている。所が支倉君、幡江は自分のものとして、紅水仙《グリムスンポスアンサス》をとっている――つまり、心の秘密さ。
 ハハハハ、一つ僕も、その花を取ろうかね。僕は、幡江の最奥のものに触れた手を、しばらくそのまま、そっとして置きたいのだよ」
 法水は冷然と云い放って、湯気のなくなった紅茶を、一気に啜り込んだ。すると、その時扉の向うで、衣摺れがしたかと思うと、その隙間から、楽屋着
前へ 次へ
全17ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング