Gれないで《タッチ・ミイ・ナット》――と叫んだのだ」
「許してくれ――成程、よく判った」そう云って検事は、皮肉な微笑を法水に投げた。
「然し、それだけでは、決して深奥だとは云われない。第一それでは、風間が吾が子を殺さねばならなかった心理が説明されていない」
「それから王妃の衣川暁子には、二つの花の名を云ったにも拘らず、折れた|雪の下《サクジフルージ》を渡した……」
 検事の抗議にも関《かか》わらず、法水はずけずけと云い続けた。
「それは折れた母の愛――なんだよ。ねえ支倉君、この譬喩《ひゆ》の峻烈味はどうだね。
 それから、レイアティズの小保内精一には、白蠅取草《ホワイト・キャッチフライ》と黄撫子《エロー・カーネーション》を渡して、恥じよ、裏切者――と云い渡しているのだし、
 あの方と云って、その場にいないポローニアス役の淡路研二には、仏蘭西金※[#「(浅−さんずい)/皿」、237−上−5]花《フレンチ・マリゴールド》と蝗豆草《ローカスト》を渡して、復讐《リヴェンジ》、|地下から報い《アフェクション・ビヨンド・グレーヴ》[#ルビの「アフェクション・ビヨンド・グレーヴ」は底本では「アフェクション・ビヨン・グレーヴ」]――と叫んでいる。
 勿論その二人には、風間に対する裏切者と云う意味の、風刺を送った訳だが、寧ろそれは、主謀者だったロンネに送られねばならないだろう。
 所がまた、王に扮したあの男に、渡した花と云うのが、頗る妙なんだよ。第一に、紫丁香花《パープル・ライラック》――これは初恋のときめきだ。それから花箪草《フラワー・マッシュルーム》は、もう信ぜられぬ――と云う意味なんだし、最後には、|紅おだまき《レッド・カラムバイン》を渡して、怖るべき敵近づけり――と警告を発しているのだ。
 それを見ると、二人は曽て恋仲であり、最近には疎んぜられていたにも拘らず、なおかつ幡江は、ロンネの身を庇《かば》おうとしている。所が支倉君、幡江は自分のものとして、紅水仙《グリムスンポスアンサス》をとっている――つまり、心の秘密さ。
 ハハハハ、一つ僕も、その花を取ろうかね。僕は、幡江の最奥のものに触れた手を、しばらくそのまま、そっとして置きたいのだよ」
 法水は冷然と云い放って、湯気のなくなった紅茶を、一気に啜り込んだ。すると、その時扉の向うで、衣摺れがしたかと思うと、その隙間から、楽屋着
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