烽フが、あるかに思われた。
 続いて舞台が廻ると、そこはエルシノアの郊外。いよいよ女ホレイショが、オフェリヤを小川の中に導く、殺し場になった。
 そこは、乳色をした小川の流れが、書割一体を蛇のようにのたくっていて、中央には、金雀枝《えにしだ》の大樹があり、その側《かたわら》を、淡藍色のテープで作られている、小川の仕掛が流れていた。その詩的な画幅が夢のような影を拡げて、それを観客席に押し出して行くのだった。
 然し、その熟《う》れ爛れた仲春の形容は、一方に於いては、孔雀の肢体そのものだった。
 孔雀は丈《せい》高く、全身がふっくらした肉で包まれていて、その眼にも脣にも、匂いだけで人の心を毒すような、烈《はげ》しいものがあった。得も云われぬ微妙な線が、肩から腰にかけ波打っていて、孔雀は肥った胸を拡げ、逞ましいしっかりした肉付の腰を張って、夢幻の寵妃を、その人であるかの如く、演じて行くのである。そしてこの、男のような声を出す女優が、まだ十七に過ぎないのを知ったら、誰しも、その異常な成熟には怖しさを覚えるであろう。
 さて演技が殺し場まで進むと、狂いのはかなさにオフェリヤは、ホレイショに導かれて、小川の中に入って行く。と、最初は裳裾《もすそ》が、あたかも真水であるかの如く、水面に拡がるのであるが続いてそれは、傘のように凋《すぼ》まって、オフェリヤは水底深くに沈んで行くのだった。そこが何より、この場面仕掛の見せ所だったのである。それから、ホレイショの凄惨《せいさん》な独白があって、それが終ると、頭上の金雀枝を微風が揺り、花弁《はなびら》が、雪のように降り下って来る。と、その下から、屍体が水面に浮き上って来るのだ。
 そして、花の冠をつけた弥生の花薔薇は、そのまま脚光の蔭にある、切り穴から奈落に消えてしまうのであった。
 所が、そうしてオフェリヤの屍体が舞台から消え去ったとき、何んともたとえようのない、驚くべき出来事が観客席に起った。
 最初は桟敷の後方から、柱が揺れる――と叫ぶ声がしたかと思うと、その劇動が、この大建築を忽ち震い始め、ぎっしりと詰まった五千人の観客が、悲鳴を上げながら総立ちになった。
 然し、その数瞬後には、また夢から醒めたような顔になって、一度はたしかに覚えた筈の震動が、不思議にもその瞬間限りで去ってしまったのに気が附いた。そして、再び視線を舞台に向けたとき
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