すのである。してみると、鯰という字は日本でこしらえたのかも知れない。なお中国では、※[#「魚+夷」、第3水準1−94−41]魚とも書く。
大和本草には、昔から日本には箱根山から東北には鯰がいないといってある。これは、箱根から西には化け物がいないというのと、好一対をなすものだが、東北地方には鯰がいなかったというのはあてにはならない。ところが魚譜によると、享保十四年九月一日、武州井之頭の池に洪水が起こり、それが氾濫して江戸へ流れ込み、あたりに満ちて大河のようなありさまとなり、人家が流れ人馬の溺死した数は夥しい。
それからのち、この辺にはじめて鯰を見るようになったというのであるが、享保といえば今から僅か二百二、三十年の昔である。そのころ、鯰が箱根山を越えて関東へやってきたとは思われぬ。大昔から東北地方にも棲んでいたのであろう。
日本内地では、一尾で一貫五、六百匁に育ったのが、一番大物であろうと思う。ところが、満洲には頗る大物がいる。殊に、満蒙国境のノモンハンに近いホロンバイルの達※[#「口+獺のつくり」、183−9]湖には一尾で十貫目、六、七尺の奴が棲んでいるのであるから驚く。こんなの
前へ
次へ
全7ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング