き、醤油のなかへ橙酢《とうす》か姫|柚子《ゆず》の一滴を落とせば、素晴らしく味が結構となるのだ。また一夜、一塩に漬けて置いた鰡を、翌日風干しに干して、焼いて食べると、甚だいける。まず、鰡を腹の方から開いて、骨付きのまま塩水に漬け、翌朝塩水からあげて一旦真水で洗い、これを干すと美しい艶に干しあがるのだ。
 九州では、小鰡《いな》を塩漬けにし、さらに押し酢にして、鮨に作ってこれをいな[#「いな」に傍点]鮨と唱えているが、これは京都の鯖鮨《さばずし》に似て、随分おいしく食べられる。そんなわけで、まず鰡のからだから、臭みを除き去れば、どのように料理しても、おいしく食べられると思う。
 からすみは、九州の五島付近で漁《と》れた鰡の腹のなかから、卵だけを抜き去ってこれを長崎で加工したものが、一等品と称されている。二等品は、台湾海峡でとれたもの、三等品は秋田県地先の日本海でとれたものである。からすみを作るには、加工の方法に秘訣があり、それによって品質の高下を生ずるものらしいが、最も大切であるのは、卵が若いものであるか既に熟しきったものであるかによって差が生ずるのである。
 一等品である長崎ものは、若いまだ大して卵巣が発達していないものである上に、加工が上手《じょうず》であるから、肌がなめらかで艶《つや》々とし、質に軽い脂肪を含んでいて、齒に絡まるほどのねばりを持っている。台湾産のものは、それより少し卵の粒が大きいが、秋田産になると粒の大きさが鱈子《たらこ》ほどになっていて、舌ざわりがざらざらしている。そして、加工が上手でないから、艶の上がりがまことに鈍い。

 さて、鰡は一体どこへ卵を産みに行くかという問題である。それはまだ学界でも分かっていないらしい。しかしながら、産卵場を求めて長い旅行をする途中だけは、昔から分かっているのである。
 その旅行の途中というのが、九州の五島沖、台湾海峡、秋田地先の日本海である。
 五島沖を通過する子持ち鰡の大群は、日本海や北支那海の方から集まってきて、太平洋の方へ行くのであろうといわれている。台湾海峡を通過するのは、中支方面の広い海に数多く棲んでいる鰡が、大群をなしてバシー海峡をへて南太平洋の方へ行くのではないかといわれているし、秋田県地先を通るのは日本海の奥や、オホーツク海の方から、くるらしいというのだ。
 してみると、太平洋の沿岸方面を通過す
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