用事が終わったので自分の室へ引き退り、昼寝をはじめたのである。ところが、急に用事ができたので正通和尚は庫裏《くり》から、守鶴の室へ向かって、幾度か呼んだけれど、返辞がない。
 そこで和尚は、守鶴の室へ行って、襖を開いてみると、驚いたことに大狸が室の真ん中で、高鼾で大の字なりに寝ていた。
 ――南無 幽霊――
 和尚の心に、合点がいった。和尚は、守鶴に気づかれぬように、静かに襖を閉めて庫裏へ戻ったのである。
 守鶴は、浅ましき姿を正通に見られたのを覚った。もう、わが正体を明らかにした以上は、この寺に務めてはおられぬ。その日夕方、守鶴は方丈で読経が済んだ後の和尚の前に座し、実はわたしは榛名山麓の横穴に、歳古く棲んでいる狸である。今日、はしたなくもわたしの粗忽《そこつ》から、あられもなき態をお目にかけ、まことに相済まぬ仕儀であった。かくなっては、高僧と畜生とは相供に住まわれません。お暇を戴き申す。
 それでも構わぬと、和尚は引きとめたが、守鶴はその場から、いずこともなく姿を消したのである。

  五

 守鶴が、尽きぬ湯を汲み出した茶釜が、現在の茂林寺の分福茶釜であるという。
 狸となって守鶴が茂林寺を立ち退いた後も、正通和尚は守鶴少年の遺品として愛していた。庫裏の大火鉢にかけて、毎朝毎夕そこから湯を汲み出しては急須に入れた。
 ある真昼、和尚は庫裏で書見をしていた。そして、ふと傍らの茶釜を見ると、茶釜の胴の一方から、ふっくらとして毛の厚い狸の尻っ尾が出た。ついで、その反対側から眼の下を黄色に隈取った狸の顔が出た。
 和尚は微笑《ほほえ》んだ。
 それから、前肢が出で後肢が出た。四肢が揃うと、狸は大火鉢の上からひょいと畳の上へ飛び降りた。後肢で立って、前肢で茶釜の腹を叩きながら踊りはじめたのである。
 正通和尚は、また微笑んだ。
 けれど、老僧は守鶴が昼寝をしたために、老狸の正体を現わしたこと、茶釜に頭と尾、前肢と後肢が生えて踊りだしたことは、決して誰にも語らなかったが、老僧は茶釜が踊り出してからは、これを傍らに置いて愛用する心を続けることはできなかった。
 館林の町から古道具屋を呼んできて、只と同じような値で茶釜を払い下げてやった。古道具屋が見ると、甚だ金性がよろしい。そして、値は只も同じようである。古道具屋は喜んで家へ持ち帰ったのである。
 ところでその夜半、古道具屋は店の方が、ひどく騒々しいので眼をさまし、障子の穴から覗いてみると、今日茂林寺から買ってきた茶釜に頭、肢、尻っ尾が生えて、腹のふくれた大きな狸となり、それが店にならべたいろいろの古道具を踏み荒らしながら、盛んに踊っているのであった。
 これは、いかん。
 古道具屋の亭主は、びっくりした。これは、わが店へならべて置くべき品ではないと考えたのである。その翌日、早く起きて知り合いの古道具屋へこの茶釜を提げて行って、相当儲けて売った。
 それを買った古道具屋も、その夜半、狸に化けた茶釜に驚かされた。そこでまたその道具屋は次の道具屋へ売ったのである。
 こうして、茶釜は次から次へ、転々として売られて行ったのであるが、至る処で奇蹟を現わして、人々の胆を潰したのである。結局、これに関係した古道具屋連が相集まり、これは公開して世間の人に、古今はじめての奇蹟を見せてやるべきであるという相談がまとまり、見世物小屋を開いて、茶釜の狸踊りをご覧に入れたところ、大評判となって大入り満員。
 四方から遠い道を遠しとせず、見物人が押すな押すなと集まったため、僅かに数日間で道具屋連中は大儲けをした。その福を、皆々で分け合ったから、分福茶釜と名づけたという。
 そこで道具屋連中は、興業が終わると顔を揃えて分福茶釜を携えて茂林寺へ行き、今回の次第とお礼を述べて、末永く茶釜の加護を正通和尚に頼んだのである。これがいま尚、茂林寺に伝わっているそうだ。

  六

 赤城山麓の、厩橋城も狸の巣であった。厩橋というのは、前橋の旧名である。
 厩橋城は、慶長六年酒井重忠が、武州川越から転封された後、忠世、忠行、忠清、忠挙、忠相、親愛、親本の六世をへて、忠恭に至るまで百五十年間の居城であったが、そのいく度かの、利根川の洪水のために、西方の城壘が崩壊を重ねたのであった。
 元来、厩橋城は酒井家が移ってから、利根の激流に悩まされたわけではない。天正十年織田信長の重臣瀧川一益が居城した頃から、毎年出水期になると、利根の流れのために城が盛んに崩されたらしい。
 現在、利根川は前橋市の西側を流れているけれど、今から百年ばかり前までは、前橋と赤城山麓との間の一本、前橋の西側群馬郡との間を流れる一本、都合二本に分かれて流れていたのである。それが、五、六月頃から十月頃までの出水期には、激流が荒れ狂って、田地田畑からお城まで洗い去
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