路の上から望んだのであったが、日ごろ子連れの熊は危ないと聞かされていたから、老生ほんとうに腰を抜かさんばかりである。
六里ヶ原で、めぐり会ったのは、五月上旬の、まだ枯芒のままの枯野の中で、真っ黒い山のおじさんと真正面にぶつかったのである。その距離、僅かに数間。共に、だしぬけに正面衝突したのであるから、熊も人間も驚くの驚かないの、両者全くぶったまげた。熊は私を発見すると、急角度に回れ右して枯野の中を枯林めざして走りだしたのである。
私はその場合、その場で腰を抜かしてしまったのでは逃げられないから、腰の蝶番《ちょうつがい》だけを確《しっか》りさせて置いて、逃げた逃げた。
群馬県吾妻郡応桑村北軽井沢の一匡村近くまで一里ばかりの間、どこの叢林、どこの野原を走ったのであるか夢中で走って、われに返った。
そこで、漸く無事であった自分を発見した。胸を撫でおろしたのであるが、呼吸がピストンのように咽喉を往復して、心臓が破裂しそうだ。遂に、大地へ伸びた。
三
わが上州では、赤城山の裏側に当たる奥利根の、武尊《ほたか》山の周囲に最も多い。四万温泉にも有名な熊猟師がいて上州と越後の国境をなす三国山脈を、東は法師温泉の上から西は草津の横手山の方まで狩り歩くが、野州では奥鬼怒の湯西川温泉の奥の会津境の山脈の谷合いには、甚だ数多く棲んでいる。
しかし私は、上州の熊も、野州の熊も、いずれも試味したけれど、どういう理由か、あまり賞賛し得なかった。
昔から奥利根へは、出羽の熊捕り専門猟師が、越後の駒ヶ岳、八海山、牛ヶ岳などをへて入り込んできたのであるから、私は山形県や秋田県の山々が、熊の本場であろうと考えて、一度本場の熊の肉を賞味したいと希望していたところ、今回はからずも友人からの贈りものを得て出羽と越後の国境でとれた熊の肉を、たんのうした。
野州や、上州の熊の肉に比べて、まことに本場だけのことはあると思ったのである。
狸は、わが上州に最も多く棲んでいると拙著『たぬき汁』に書いて置いた。上州でも、榛名山麓に最も多い。
近年でも、その地方の人々は、時たまたぬき汁に舌鼓をうっている。
一昨年十月のことである。戦争が、次第にはげしくなって、東京では学童を地方へ疎開させねばならぬことになった。
榛名南麓の箕輪町でも、疎開学童を受け入れることになったので、校舎の修築、炊事場の新
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