何十里の旅を続けたろう。恐らく、百里に近くはあるまいか。
若鮎は、一人前の生活力が、からだから溢れるのを感じていた。
しかしながら、利根川は水温が低い大河である。吾妻川との合流点から上流は、六月に入ってからでも、摂氏の十二度を超えまい。また水量の多い川である。坂東橋の橋下で、平均六千個というのだ。これでは、なかなか水は温まらないのである。そして、水源に抉《えぐ》り込んだ深渓には、四季雪原と雪橋が消えないのだ。
上州側には大刀寧岳と剣ヶ倉、白沢山。越後側に聳える兎岳、越後沢山、八海山、越後駒ヶ岳などを合わせた山々は、標高僅かに七、八千尺に過ぎないけれど、人里遠いことにおいては日本一である。その山々から滴りでて、深い渓の底の落葉を潜り、陽《ひ》の眼を見ないで奔下する水であるから、真夏になってからでも、朝夕は身に沁みる冷たさを覚えるのは、当たり前であろう。
そういう性質の流水であるから、東海道の諸川や、栃木、茨城方面の川が、六月一日の解禁日から、もう盛んに友釣りに掛かるというのに、利根川の鮎は早くても七月に入らなければ囮鮎を追わなかった。
もっとも、数十年まれなことであったが、大正
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