は知っていた。だが、それをいま想いだして、なにの役に立つのであろう。
私は、自分の腑甲斐なさに、意志の力の絶無なのに、長い吐息をして歎いた。掌が畦の土を固く掴んでいた。家へ帰るのをやめた。そこから、親爺のところへ行った。聞いてみると、あの二人はまだ戻らないというのである。私は、煙突掃除の刷毛と箒と塵取りと煤袋と溝掃除の鍬と鶴嘴と割り竹を、リヤカーに積んで、市中へさまよい出た。
ひる過ぎまで、あっちこっちと歩いたが、昨夜の泡盛の呑み過ぎで、からだの節々が痛む。頭痛が激しい。それに、昨夜の夕めしも、朝もひるも一粒の米も食っていないのであるから、眼が眩んで全く仕事にならなかった。その日は、まるで無収入に近かったのである。
私は、蹌踉《そうろう》として日が暮れてから、わが家へ帰ってきた。
五
家へ入ると、家内は不在であった。四人の子供が火のない狭い座敷の真ん中に、寒さうに丸くなって寄り添うて座っていた。
おかあさんは、と問うと十二歳になる総領の娘が、おかあさんは夕方用事があるといって、赤ちゃんをおんぶして街へ行きました。と、答えるのである。夕飯は、と問うと、
「まだです」
と、九歳になる男の子が答えた。私は、暗然としたのである。地下足袋をぬいで、私は四人の子供の車座のなかへ割り込んで、黙って座った。それから二時間ばかりして家内は、夜も初更になってから、さみしい姿で帰ってきた。それでも元気な声で、土間から、
「皆さん、お待ちどうさま」
と、子供らにいった。
家内は昨日の夕方も、今日の夕方も、物を欲する子供らの声を、鬼のような心になって抑えながら、ひたすら私の帰るのを待っていたのである。だが、とうとう私を待ちきれなかった。
家内は、黄昏が近づいてから、街の方へ出て行った。私のところへ嫁にくるとき、今は亡き母がこれはわたしであると思ってくれといって与えた、七珍の古い丸帯を風呂敷に包んで質屋をたずねた。そして、その風呂敷に一升の米を包んで右の手に、左の手には煎餅のように摺り減って二つに割れた下駄を提げ、跛を引いて帰ってきたのであった。
「遅くなってすみません」
家内は、私にいった。
「お前の左の手に提げているものなんだい」
私は、荒々しい声で問うたのである。
「割れた下駄です」
「恥ずかしい、そんなものを提げて――なぜ棄ててこないのだ」
「いえ、これは棄てられません」
「なぜ」
「これは、竈の下の焚きつけになります」
私は、これをきいて黙した。二、三年前、戦争がきびしくなって、誰もが燃料の不足に苦しんでいたころは、古下駄でも羽目板でも竈の下に焚いたけれど、物があり余った昭和のはじめ頃、割れ下駄を焚きつけに用いた家庭は絶無であったに違いないと思う。
それから家内は、赤子を背中からおろして、総領の娘に抱かせてから勝手元に立った。
温かい夕飯が、炊けた。私は、心で泣きながら、それを子供と共に食べた。
六
その夜半、私は電報々々と呼ぶ声に起こされたのである。
ハハキトクスグコイ。
と、書いてある。故郷の老母と共に暮らしている妹からの電報であった。故郷へは、ここから百五十里はあろう。
愕然として、電報を手に握り、寝ている子供の枕もとをうろうろしている私に、
「おかあさんは、まだ危篤のままいらっしゃるのでしょうか」
と、家内はいうのである。
「さあ、それは分からない。だが、恐らく死んでいるのじゃないかね」
少し気持ちが落ち着いて、私は座った。
「ほんとうにお優しいおかあさんでございましたわね」
「そうだった」
「ところであなた旅費はどうなさいます」
「さあ」
「万一の時に取って置きのお金をお持ちでしょうか」
「ない」
私は、過去の生涯甲斐性なしを責める情が、一時に胸へこみ上げて、汚れた畳の上へ突っ伏した。翌朝私は、母と妹に宛てて見舞いと詫状を書いたのである。
翌日から私は、また街の掃除屋へ、うらぶれた姿で稼ぎに行った。
五、六日造ぎた日、終日働いて暗くなってから家へ帰ると、東京の親しい友人から手紙がきていた。私は、地下足袋もぬがないうちに框《かまち》に腰かけたまま、それを読んだ。
前略、御健勝の由慶賀に存じ候。さりながら自今御窮迫との御事、それしきの境遇苦慮するに足らずと、遠方より御声援申上げたく候。
さて、小生は先頃より貴台の御住所を探し居り候いしが皆目判明致さず閉口致し居り候処へ図らずも貴翰到来、大いに安心致したる次第に有之候。と申すは、実は小生今回或事業を創始仕り、貴台の技術と経験と人柄を是非必要に感じ、貴台の所在につき百方尋ね居たる有様に御座候。事業の目論見書は別封にて御送り申上げ置き侯共、御一議の上、小生に御協力給わる御気持を以って至急御状況煩し度、此段切に願入候。恐縮に存じ候が、御上京の可否即刻電報にて御知らせ下され候わば、幸甚至極に奉存候。
先は、取り急ぎ用事のみ。[#地から1字上げ]敬具
私の、斜めうしろから、この手紙を読んでいた家内は、わっと声をあげて泣き崩れた。家内が、私のところへ嫁にきてから十五年、声をあげて泣くのは、これがはじめてであった。
底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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