泡盛物語
佐藤垢石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)仕切り絆纏《ばんてん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)白|痙斑《あばた》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]敬具
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一
私は、昭和のはじめ、世の中が一番不景気の時代に失職してしまった。失職当時は幾分の余裕はあったのであるけれど、食を求めて徒食している間に、持ち金悉くをつかい果たしてしまったのである。
多くの家族を抱えて、職のないことは胸が詰まる思いである。東京にはあきらめをつけた。そして、東北地方のある小さな都会へ流れて行ったのである。そこで、地方新聞の配達をはじめた。しかし、百五十部か二百部の小新聞を購買し、これを配達していたのでは、到底七人の家族を支えきれるものではない。衣類、時計、書籍まで売り食いし、とうとう新聞の集金まで手をつけてしまった。新聞配達は、それでおしまいになった。
また家族を纏めて、そこから五十里ばかり隔てた次の都会へ流れて行った。しかし、市中に住むということは、生活費が嵩むおそれがあるので、そこから一里ばかり離れた農村に行き、ささやかな家を借りて住んだのである。私は、毎日毎日職探しに市中へ出て行った。
なにしろ浜口内閣の不景気政策が、充分に効き目を現わした後の世の中であったから、産業が不振に陥って、幾日も幾日も市中をさまよい歩いたけれど、人を求むる会社とか商店とかいうのは全く見つからなかったのである。私は、家族に飢えが迫るのを恐れて、呼吸がつまるほどのやるせなさを催すのである。私が寒い街の路傍を歩く姿は、喪家の犬のようであったかも知れない。
ところが、ある日相変わらず職を求めて歩きまわっていると、場末裏長屋の戸袋に『清掃人夫を求む』と書いた紙が貼ってあるのを発見した。私は、胸をとどろかしてその長屋の土間を訪れた。
土間に、顔も鼻の穴も手も真っ黒によごれた仕切り絆纏《ばんてん》の五十格好の親爺が立っていた。私が入って行くと、その親爺は黒い顔から茶色の眼を光らせて、無言で私を睨めた。
「清掃人夫を求めているのは、こちらでしょうか」
と、問うた。
「ああ、そうだよ」
無愛想な親爺の返答である。
「清掃人夫というのは、どんな仕事をするのです」
「煙突掃除に、溝掃除だよ――ところで、清掃人夫をやりたいというのは誰だい」
親爺はこういってから、私の姿を頭から足の先まで茶色の瞳でながめおろした。
「私です」
「なんだお前か、お前みたいな生白いのには仕事が向かねえ。もっと頑丈な、節くれ立った人間でなけりゃ駄目だ」
私は、そのとき最後に取って置きの銘仙の絣《かすり》を着、駒下駄をはいていたのである。
「溝や煙突掃除くらい私にもやれますよ」
「駄目だ、そんな細い指の人間にゃやれねえな」
「でも、やらせみておくれ、必ずやりますから」
「どうかな――おい、お前にはあの道具が扱えるかい」
といって親爺は、土間の隅の方を指した。土間の隅には、割り竹の先に結びつけてある煤によごれた黒い大きな丸い刷毛や、溝掃除に使う鍬、鶴嘴、長い竹箆などが散乱していた。
「地下足袋も、絆纏も、股引も持ってます。こんな細い腕でも、ついこのごろまで力仕事をやっていたんだから」
私は、新聞配達しているとき、新聞社から貰った印絆纏が、梱《こり》に入れてあるのを想いだしたのである。地下足袋も股引も、新聞配達には付き物であった。
「縞麗な仕事じゃねえよ、それに手間賃もひどく安いよ。それが承知なら、やれるかやれねえか、あしたから來てみるがいい」
二
私は、掃除屋の親爺を救いの神だと思った。しかし私は、家内には仕事が見つかった事だけ話し、その仕事が何であるかは語らなかった。
翌日早く、絆纏、股引、地下足袋を身につけ、頭へは寒鮒釣りに行ったとき使ったスキー帽の古いのを冠って出かけた。
「案外格好ができていらあ、これじゃやれるかも知れねえ」
親爺は、はじめてにやにやとした。
「さあ、なんでも言いつけてくんな、どんな仕事でもやるよ」
と、私は大きく出た。
この親爺は、この都会の掃除屋仲間では最も古顔で、出入りの客筋を数多く持っていた。私には二人の先輩がいた。一人は四十格好の痩せ形の男で、狡猾《こうかつ》らしい人相を持っていた。一人は、三十二、三歳か骨格の逞しい土方上がりでもあるらしい好人物である。親爺は、この二人を連れて毎日、出入先の煙突や溝を掃除して歩いていたのである。そこへ、きょうから私という新米が一人罷り出たわけである。
勝手元や風呂場にある直径四寸の煙筒を一本掃除して手間賃が金五銭。五寸の煙筒が六銭、七寸が十銭。風呂屋や製糸工場には大きな煙突が立っているけれど、ここには釜焚きがいて掃除するから、掃除屋の手にはかけないのである。しかし、溝の方は釜焚き人夫が手を出すのを嫌うから、掃除屋の仕事となっていた。
溝掃除は、煙突掃除よりも仕事が汚い上に骨が折れるから、賃銀が高い。でも、いかに高いといったところで、一仕事で一円以上というのは、めったにない。普通二、三十銭を頂戴する溝掃除が最も多い。
煙突掃除や、簡単な溝掃除は一人で行くことになっているが、大きな溝掃除となると総動員で行く。
ところで、以上のような賃銀であるけれど、この賃銀のうちから親爺に頭をはねられ、また難工事は頭割りとなっているから、早暁から夕方まで働いたところで、一日金一円の収入を得るというのは甚だ困難であると、二人の先輩と親爺が代わる代わる私に説明した。
「それでも、お前はやる気があるのかい」
年長の方の先輩が私に問うた。
「遊んでいて、ひもじい思いをしているのより結構だ」
と、私は答えたが、いかに浜口内閣の不景気政策のおかげとはいえ、煙突一本掃除して金五銭とは情けないと思った。
三
私は、その日から二人の先輩の後について、仕事見習にでかけた。だが、たかが煙突掃除や溝掃除であるから大したことはない。
年長の先輩は、あば辰という異名を持っていた。顔に薄い白|痙斑《あばた》が浮いているからである。若い方は、樺太と呼ばれる。樺太で土工を稼いでいたからだ。
五、六日の後には、私は一人前の立派な掃除屋さんになっていた。ある日、花柳界の真ん中にある銭湯屋から溝掃除の申し込みがあった。これは、難工事であるというので、あば辰と樺太と私と三人で出かけて行った。
この風呂屋の湯尻は、直径一尺の土管を通して、道路に沿った掘割に注いでいるのであるが途中になに物か滞って不通となって湯水が溢れ出すというのである。そこでわれらは、まず長い割り竹で土管の尻から突いてみた。だが長い土管の途中に滞った物は、なかなか頑固に頑張っていて、竹の箆などでは突き抜けそうにない。結局、土管を全部掘り返して徹底的に掃除することに方針を定めたのである。
長い土管を三区に分けて三人で一区ずつ受け持ち、せっせと掘りはじめた。私は、正午頃までに受持分を掘り終わってしまったので、表通りの路傍の石に腰かけて一服やっていると、あば辰と樺太の二人が、にこにこしながら私のところへ走ってきた。あば辰は、右の手になにか握っている。
「おい新米、土管のなかからこんなものがでた」
こういって、あば辰は大きな掌を開いてみせた。私は、その掌を覗いた。掌の上に、金の総入歯がぴかぴか光っている。あば辰と樺太は、私を新米、新米と呼んでいた。
この総入歯は、よほど贅沢の人が作ったものと見えて、ふんだんに純金が使ってある。全部で、三、四匁は使用してあるかも知れない。当時、純金は一匁三円五十銭程度であったから、どんなに安く見積もっても、この総入歯は十円以上の価値はあろう。
「どこかの大家の隠居かも知れないな、湯尻へ落としてあきらめたのだろう」
と、私はいった。
「古金屋へ持って行けば今夜一盃呑めるが、おい新米、一体これはどう処分したらいいんだ」
樺太は、こう私に問うのである。私は、しばらく考えた。
「古金屋へ持って行くのは止めたがいい。これは一応、交番へ届けなければいけねえ品だね」
こう、私は意見を述べた。すると、あば辰も樺太も苦い顔をした。
「それじゃ、一盃にならねえじゃねえか。交番で取っちまうだろう」
「もちろんさ、一年たっても遺失主が現われなければ、おいらのところへ下げ渡されるけれどその間は警察へ預け放しさ」
「そいつは、つまらねえ」
「花咲爺さんじゃねえけれど、こいつは天道さまがおいらに授けたんだ。三人で呑んじまうことにしべえよ」
二人は、呑むことを盛んに主張する。
「呑みたいのは山々だが、そいつはいけねえな。天知る地知るだ。後が怖ろしいぞ」
「後が怖ろしいとは、どういうことだ」
「拾得物横領というので、呑んじまったことが分かれば、おいらは後ろへ手がまわる」
「そんなわけか」
「危ない危ない、交番行きが一番安全だ」
最後に、あば辰も樺太もふしょうぶしょう私の意見に従った。
「そうと決まったら、二人で交番までひと走り行ってくらあ」
あば辰は、こういってから樺太を顧みた。あば辰は、また大きな掌の金歯を握ったまま、往来を小走りに西の方へ向かって走りだした。樺太が、その後に従った。
――呑むことに同意しないでよかった――
と、私は思った。
それから一時間待てど、二時間待てど二人は帰ってこなかった。私は、自分の掘った土管を掃除してから、さらに二人の分も掃除して、元のように土管を埋めた。そして、湯屋の番頭を呼んで通水させてみた。掃除は、立派に終わったのである。もう、夕方になっていた。
しかし、それでも二人は帰ってこなかった。どうしたのであろう。
私は、湯屋から三円あまりの手間賃を貰ってから、いろいろの掃除道具をリヤカーに積んで親爺の家へ帰った。だが、二人は親爺の家へも帰っていない。
四
私は親爺に一部始終を語った。
「そうか、ご苦労だった。あいつらはほんとうは碌でもねえ野郎共なんだ。ずらかったんだ」
親爺は低い声で呟いた。
湯屋から貰ってきた手間賃を渡すと、親爺は分を引いた残りの二円あまりの金を私にくれたのである。三人で一日働いたのであるならば一人前七、八十銭にしかならぬのであろうが、私は三人分を一人で貰ったのだ。
私は、黄昏《たそがれ》の道を家へ向かって歩いた。なににしても二円あまりの金を懐中したことは近来に珍しい。まことに、ありがたい次第である。おかげさまで、この金があれば米も買える。久し振りで味噌汁も味わえよう。子供に、塩鰯の一尾ずつも振舞えようか。私は、妻や子が喜ぶ顔を眼の底に浮かべて、いそいそと寒風の吹く街はずれを歩いた。
街はずれに、泡盛屋があった。表障子に一杯十銭と書いてあるのが、眼に映った。私は、いままで親爺の家へ行き帰りに、一杯十銭の文字を何度怨めしく眺めたことであろう。私は、懐ろにある二円あまりの金をしっかり握って往来に立ち、頭がふらふらとしたのである。
――幾月振りだ、一、二杯は天の神さまも許してくれるだろう――
思いきって、泡盛屋の腰高障子をあけた。三杯ばかり、立てつづけに呷《あお》った。酒精の熱気が五臓六脇へ泌みわたる。咽が快く鳴って、食道を烈液が流れさる爽美の感は、これをなにに譬《たと》えよう。いままでの苦しみも悩みも、貧の脅迫感もこの小さな洋盃二、三杯で、跡形もなく拭い去られた。
――白雲飛び去り、青山ありだ――
ああ、甘露かんろ。だが、もう一杯ぐらいは二円あまりの金に対して大した影響はないであろう。それから、がんもどきのおでんを一皿食べたところで、これも大なる負担ではあるまい。もう一杯、もう一杯。
ぶるぶると、寒さに眼がさめてあたりを顧みると、私は家へ帰る途中の田圃の麦の畦の間に寝ていたのである。早暁である。東の空に、淡紅の雲が棚引いている。
――しまった――
しかし、もう遅い。
蟇口のなかの金は、悉く呑み尽くしてあった。昨日の朝、家を出るときに米櫃が空であるの
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