魚もはや[#「はや」に傍点]も、その産卵場の砂をはねのけて卵を盗み食うのである。
 こんなわけで、秋がきたころ鱒の餌を用いると、山女魚もはや[#「はや」に傍点]も素敵によく釣れた。
 私は、水戸に遊び住んでいたころ、漬物屋の店頭に、塩漬けの鱒の卵の入った樽を発見した。つまりイクラである。そのとき、ふと鱒の卵で山女魚とはや[#「はや」に傍点]を釣った故郷の渓流を想いだしたのである。那珂川にいるはや[#「はや」に傍点]も、鱒の卵を知らぬことはあるまいと考えたのである。
 試みに、漬物屋のイクラを那珂川へ持っていって、はや釣りをやったところが、盛んに釣れたのである。その後、天然鱒が遡らない東海道地方の渓流へ赴いて、イクラを餌にしたところ、山女魚が素晴らしく釣れた。これは、鱒の卵と、山女魚の卵と同じ質のものであろうからと思う。
 山女魚は、自分たち仲間が、産卵をはじめると、やはり鱒が産卵場についた場合と同じように、その卵を盗み食うのである。だから、全国いずれの川へ臨んでもイクラで山女魚が釣れるのに、不思議はないのだ。
 イクラを鈎《はり》にさすには、一粒|乃至《ないし》二粒でよろしい。数多くつける必要はないのである。鈎合わせは素早い方がよろしい。
 去年、磐城国の鮫川の上流へ注ぐ、一本の渓流へ山女魚釣りに行った。ここは、あまり都会人の注目せぬ場所であったから、行くたびに数多く釣れたのであったが、そのときはいつの間にか荒らされていたと見えて、極めて成績不良であった。そこで、私は試みにこんなことをやってみた。イクラのひと抓《つま》みを、口にふくんでそれを唾液でよくぬらし、それをぱっぱっと渓流の落ち込みへ吐いた。つまり、寄せ餌にするつもりであったのである。
 そこで、ゆっくり一服喫ってから、鈎先にイクラを一粒つけて鈎を振り込んだところ、すぐ掛かった。続いて掛かった。同じ落ち込みで十尾近くの大きな山女魚を釣った。たぶん下流からイクラを慕って、この落ち込みへ集まってきたものと見える。それからさらに上流へ上流へと、寄せ餌を撒いていって、思わぬ大漁をしたことがあった。

 だが、元来私は寄せ餌までして、魚を釣るのを好まぬのに気がついて、なんとなく面目ないような気持ちを催したのである。



底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
   1992(平成4)年9月10日第1刷発行

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