は夏の頃に及ばない。また九月が過ぎて十月、十一月になると産卵期に入るので全身の脂肪が腹の生殖線に吸収されて、肉の味が甚だ劣ってくる。
ところで、夏から初秋へかけての四ヵ月間の鱒の鮮醤《せんしょう》はこれを何にたとえようか。魔味とはこの肉膚を指すのではないかと思う。上品にして細やかな脂肪が全身に乗って淡紅の色目ざむるばかりだ。
刺身、塩焼き、照り焼き、潮汁、うま煮など。肉を箸につまんで舌端に乗せれば、唾液にとけて、とろとろと咽喉に落ちる。風味、滋味、旨味、いやほんとうに何とも申されぬ。この鮮醤の持つ舌への感覚は魔味と称して絶讃するほかに言葉がないであろう。
一尾三、四百匁位までの小物は、まだ肉に旨味が乗ってこない。しかし、七、八百匁から一貫五、六百匁ほどに育った大物は、絶品中の絶品である。昔から、啖《くら》えば三年前の古傷が痛むといわれているほどであるから、その味品たるや知るべきである。殊に前橋地方の中流に産するものよりも、渋川町から上流の群馬郡北部から利根郡内にまで遡った鱒は、一層味品が肥えている。
鱒と共に、推賞に値するものに、利根川の鰍《かじか》がある。鰍は、親族同胞数多く
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