釣熱《ちょうねつ》は、東京以上のものがある。そして、どこか昔の藩風が、釣り人の気分や技術の上に残っているのである。
 明治になってからも釣り人が磯から帰ってくるのに出会うと、きょうの勝負はいかがであったなどと問うたものである。やはり午前二時頃には海岸へ向かって出発した。ところで、その時刻に遅れて出発した者があると、それを指してあいつは物の役にたたぬと罵《ののし》ったのだ。
 武士は、磯の巖上に立って竿を操ると戦場にある気分となった。ある朝、鈴木栄之助という若い藩士が、同僚に一足おくれて賀茂の港の海岸へ駆けつけると、栄之助がいつも釣り場としている岩の上に、他の士が熱心に釣っていた。栄之助は、これを見て少しむっとした。そこでわが輩の釣り場に先陣をつけるとは、ちか頃不都合ではないかと、うしろから呼ばわった。誰かと思えば鈴木か、おくれて参ってなに申すと、先着の釣り士がやり返したのであった。
『たとえ、おくれて参ったからとて、ひとの釣り場へ無断で足を踏み入れるとは、釣りの仁義をわきまえぬ不束者――そこ退け!』
『なにを小癪な――勢揃いにおくれたとあっては主侯に相済むまい。切腹ものじゃ』
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