ざし》を現わすのだ。生殖腺はからだの栄養を吸収して肥え育ってゆくのであるから、腹の卵子が大きくなればなるほど、鮎の肉は痩せてゆくのである。肉痩せ、性に疲れた鮎がおいしかろうはずがない。
 鮎は、川筋やその国の気候風土によって少しの差はあるが、一体に六月中旬から八月中旬までの夏のさかりに漁《と》れたのを、至味としているのである。初夏の鮎は水鮎と称え、香気は高いけれど、肉にこくがない。されば、私ら釣り人は夏のさかりに、好んで鮎を釣るのである。さりながら、私は名ある鮎の川を耳にすれば、季節を忘れてそこへ旅する慣わしを持っている。このたびの、小国川への釣り旅もそれであった。
 鈎に掛かる鮎はいなかったが、簗《やな》に落ちる鮎はいた。簗に落ちる鮎を手にしてみたところ、陽気のためかまだ肌の艶が若々しかった。羽州の人々が自慢するように、頭が小さく胴は太く長く立派な姿であったのである。ちょうど、私がかつて世に紹介したことのある飛越国境に近いおわら節が有名な八尾町の奥、神通川の支流室牧川の鮎に似て、良質の岩石から湧く麗水に育ったかを思わせた。だが、既にもう秋の鮎である。あの、味品にまとう香気が抜けていた。肉の量は薄く抱卵は腹に一杯であった。これが盛暑の候であったなら、どんなに味品高い鮎であったろう。
 羽前と羽後の国境の岩山から滴りでて、新庄の町の西北を流れる鮭川へも行ってみた。この川には、まだ数多い鮎がいた。そして、よく囮《おとり》釣りに掛かるのを見た。けれども、この川の鮎には気品が乏しかったのである。肉がやわらかで、肌の色に清快を欠いている。もちろん、食味は上等とはいえない。
 鮎が立派でないのは、この川の姿が物語っているのである。小国川と異なって鮭川に沿う地方には水田が多い。水田の落ち水を集めて下《くだ》る川だけに、流れる水が麗明とはいえないのだ。ここに育つ鮎は、誰が見ても高尚であるとは考えられないと思う。
 それに、川底に転積する玉石も小さい。また岸の崖に、泥炭の層が露出していた。鮎は、炭粉をことのほか嫌うのである。磐城の国には、幾本もの渓流が太平洋へ注いでいる。そして、どの川にも鮎が多い。ところが磐城の国の川の上流には、石炭の層が幾重にも断続していて、そこから流れ出る炭粉のために、鮎は香味の気品を備えぬのである。鮭川の鮎もそれと同じであった。
 私は、小国川と鮭川を辞してか
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