人環視の中に男の人と何かの打ち合わせをしているらしかった。私は遠慮もなくジロジロとそのやや肥った姿を見ていると、階段を上がってきた芸妓の三人連れが呂昇を発見して、
『先日は……』と丁寧に頭を下げた。
『先日は』と呂昇も頭を下げて笑って見せたが、その表情は頗る拙いものだった。顔色も薄青い。それが白粉《おしろい》と口紅を塗って高座へ登り、血の滴れるような唇から豊かな、洗練された音声を溢れ出させて聴衆の頭を撫でてゆくことを考えると不思議のような心持ちがする。席に復すると生駒君が、
『柳沢伯が来ている。感心に良く来る人だね』と言う。
 見ると直ぐ[#「直ぐ」は底本では「直く」]左のボックスに腰をかけて、居眠りをしている人が柳沢伯だ。痩躯に薄茶の背広を着け、赤靴をはいた貴公子だ。
 いよいよ大隅の娘景清が始まった。聴衆鳴りを鎮めて、一心に大隅の幅広い顔を見る。この人は一口語ると手布で口を拭う。それが愁嘆場へ行くと非常に頻繁になってついには手に持った手布を打ち振るようなことをする。聞く人の眼障りになる。大隅が語り出すと私らの右の方の空席へ二人連れの女が入った。横眼で見ると岡田八千代女史と呂昇君だ。
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