いられるのであるから、魚という動物は不思議であると感心しながら、なお眺めつづけていた。ところで、魚は眼を開いたまま眠っている。開いたままであるから、眠っていても魚の眼は視力がきくものかどうか試すため、携えて行った魚鋏で、眠っている魚を挾んでみた。眼が見えれば、鋏を見て逃げだすわけであるが、鮎も※[#「魚+成」、第3水準1−94−43]も鮠もなにも知らず騒がず驚かず、静かに私らの魚鋏に挾まれてしまうのであった。
これは、たしかに眼を開いたまま熟睡していたに違いない。さらに、殖田先生の説明によると、魚は約二時間熟睡すると眼をさます。それも試験してみよう、というのである。蚊の襲撃を受けながら、夜の河原に二時間待った。十時に、再びカンテラを淵の面へ差して魚の姿を眺めると、やはり水の中層に静止している。ところで、私らはまた魚鋏を水中に入れ、魚を挾もうとすると、こんどは駄目である。逸早く鋏を見つけて、鮎も※[#「魚+成」、第3水準1−94−43]も鮠もいずれへか逃げてしまった。二時間後には、たしかに眼をさましていたのである。
そこで考えたのであるが、人間が魚と同じように眼を開いたまま眠っているとすれば、随分薄気味悪いと思う。自分の寝姿は見えないけれど、私などこの頃あまりのめないために、酒精失調とでもいう病気にかかり、眼を開いたまま眠るか、どうか。
鮎、鯰、鯛、鮪、秋刀魚など多くの魚が、眠っても眼を閉じないのは、※[#「目+険のつくり」、第4水準2−82−3]が動かぬためであると思う。しかし、全部の魚の※[#「目+険のつくり」、第4水準2−82−3]が動かぬわけでもない。私の知っているところでは、二、三の魚が※[#「目+険のつくり」、第4水準2−82−3]を閉じる。
日本のどこでもの海岸の浅い砂浜や叢《くさむら》に棲んでいる飛|沙魚《はぜ》と、九州有明湾や豊前豊後の海岸にいる睦五郎《むつごろう》と、誰にもおなじみの鰒《ふぐ》である。
東京近くでは、千葉県の西端の浦安海岸に飛沙魚はいくらでもいる。退潮時に浜を覗くと干潟の泥のなかに群れをなして遊んでいるが、人間が近づくと、ぴょんぴょん跳ねながら逃げだす。そして、葭や葦などに這い上がり、ちょいと人間の方を振り向き、胸鰭をあげて額に翳《かざ》し、※[#「目+険のつくり」、第4水準2−82−3]をぱちぱちさせる顔は、ひどく愛嬌た
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