、父の言葉であったのだ。
わずかに、竿先へ煽《あお》りをくれて軽く鈎《はり》合わせをすると、掛かった。魚は、水の中層を下流へ向かって、逸走の動作に移った。やはり、水鳥の白羽の動きは、はや[#「はや」に傍点]の当たりであったのである。
『帰りましょう』
と、私ははや[#「はや」に傍点]の口から、鈎をはずしながら答えた。
赤城山の裾は西へ、榛名山の裾は東へ、そのせばまった峡《はざま》の間に、子持山と小野子山が聳えている。子持山と小野子を結ぶたるみを貫いて高い空に二つの白い山が遠霞を着ているのは、谷川岳と茂倉岳とである。北の方、上越国境の山々はまだ冬の姿であるらしい。
私は、利根川の崖の坂路を登りながら、はるばると奥山の残雪を眺めた。そして、ぽつぽつと、父の跡を踏んで歩いた。
雑木林へ差しかかった時、父は、
『これをごらん』
こう言って私に、楢《なら》の枝を指した。何のことであろうと思って私は、父の指す楢の小枝へ眼をやったのである。楢の枝には、澁皮が綻《ほころ》びたばかりの若芽が、わずかに薄緑の若葉をのぞかせていた。
『この楢の芽を見な。この芽が樺《かば》色の澁皮を落として、天宝銭《てんぽうせん》くらいの大きさの葉に育つと、遠い海の方から若鮎がのぼってくるんだよ』
こう、父は想い出深そうに、私に説明するのであった。そして、それは毎年、五月の端午《たんご》のお節句が過ぎた頃である。その頃になると、河原の上に川千鳥の鳴き叫ぶ声を聞くのだが、川千鳥は下総《しもふさ》の海の方から、鮎の群れを追いながら空を翔《かけ》ってくるのだ。であるから、川千鳥が流れの上に、仮住まいして水面《みずも》に、何ものかを狙うように羽搏《はばた》きをするのを見たら、若鮎の群れは、もう丸い小石のならぶ瀬際をひたのぼりに、上流へのぼっていると思ってよろしい。と、細々と話してくれた。
二人は、いつの間にか路傍の草に、腰をおろしていたのである。
『鮎がきたら、二人で精一杯釣ろうね』
私に諭《さと》すように言う。ほんとうに優《やさ》しい父であった。
それから、長い月日が流れた。しかし、この日の記憶は去らないのである。毎年、初夏がきて楢の青い葉が天宝銭ほどに育ったのを見ると、葉の面に父の顔が描き出される。そして、莞爾《かんじ》と微笑《ほほえ》む。
私の父は、一家の経営には全く無能の人であった。
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