さし込み、長い道糸を瀬の落ち込みへ流してやると、道糸が張った途端に、もう凄い引き込みだ。
 竿先が、折れるのではあるまいかと思うくらいの強引だ。私は竿を引き抜くと、それを後ろ向きに肩に担《かつ》いで、河原へ向かって駆け上がった。そして、河原の小石の上を二十間ばかり走ったところが、鱸は頭を横に振り鰓洗いをやる暇もなく、そのまま河原へ引き摺り上げられてしまった。父は、直ぐ鱸のそばへ走って行って、上から茣蓙《ござ》をかけて押さえつけた。
 それは、一貫三百五十匁の大鱸であった。それから入れ食いの連続だ。夕方、手もとが見えなくなるまで五、六百匁から一貫目前後の鱸を十五、六本釣ったのである。付近の農家から、太い竹の棒を一本貰ってきて、それに吊るし、二人で水戸まで担《かつ》いで帰ったのである。
 こんな鱸の大漁は、はじめてだ。その後、東京湾口の落ち鱸釣りに、それ以上の数を釣ったことはあるが、落ち鱸は食味が劣っているから、盛期の川鱸釣りの興趣に比べれば、まるで問題にならない。私の父は、若いときから鮎釣りにたんのうで、随分大漁したことがあったそうだ。しかし、大ものをこんなに釣ったのは、生まれてはじめて
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