落ちついて捜すがいい。わしは眠い。寝る。
 こんな謎のような言葉で、老父は家内をあしらったのである。家内はとりつく島がなかった。そこで家内は、夜道を一人の婢を連れただけで、里方の方へ尋ねて行った。しかし、そこにはみゑ子の姿は見えなかった。がっかりした。里方から、妹の嫁ぎ先へ電話をかけて様子を尋ねた。すると妹が電話口へ出て、それはご心配ですね。ですが、私のところへはきていません。それにしても、この夜半では何とも致し方がないでしょう。夜があけてから、ゆっくり心当たりを訪ねることにしたら、いかがでしょう。という挨拶であった。家内は眼を赤くして家へ帰り、一夜一睡もしないで、陽が昇るまで待ったが、みゑ子はとうとう帰って来なかった。

     五

 そのころ私は、ある会社の創立のために町の方の旅館に滞在していた。早朝、顔色蒼白となった家内は、私の部屋へ転げ込んだ。しばし、口がふるえて言葉が出ぬありさまであった。家内は気が落ちついてから、充血した眼を輝かして、昨夜からの顛末《てんまつ》を語ったのである。
 私は、暗然とした。
 その日の午後、警察署へ捜索願を出すと同時に、京都に電報で照会してみた。すると、たしかに当方にきているから、気遺いはいらぬ、という返電があった。それからもう、みゑ子はわが家へ帰らぬ子となった。
 家内は失神したようになって、それから一ヵ月ばかり床の中の人となった。訳ある子二人を育て、わが子を三人産み、貧苦と闘い、浪費癖の良人を護りながら、義理と人情の路に立って、ついに自他一如の心境に達していた家内は、報われなかった。
 日ごろ、家内の心を知っていながら、何の感謝の意を言葉の上に出さないできた私は、この事件に際しても、慰めの言葉が口から出なかった。
 姉の、わがままが、こういうことを引き起こしたのであろうが、結局は私の不徳、つまり私の貧乏がこんな羽目に導いたのではないかと思う。私は、家内の心を哀れに見た。
 京都の姉は昨秋、義兄は今春他界した。事件以来私は義絶していたのだ。今年の初夏のころ、みゑ子は突然、東京の私の家を訪ねてきて、玄関で泣き崩れた。お母さん、堪忍してくださいとひとこと言ったまま、長い間畳の上に歔欷《きょき》していた。
 私は、みゑ子から、みゑ子が学校から帰り途に連れだされた日の模様を、訪ね聞く気持ちになれないでいる。なんとなく腫れものに触る
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