約八万坪の庭園は植物、建築など渋く錆がついていて五百年の歴史がしのばれた。落葉の上に、リスがくるくると歩んでいた。ここの動物園で虎を見た。朝鮮の虎かと思ったら、アジア南部産と書いてあった。
平壤は素敵にいいところだ。十二日の午前七時ごろ着いたのであるが、折りから雨風が吹いて少し寒い上に、道幅が広いので何となく寂寞たる感を催したのであった。
町並みのどこかに、荒《すさ》くれた新興都市といった風の、一種親しみにくいところがあるように思ったのであるけれど、雨の中を宿の三根楼を出て将棋の会がある柳という席亭へ行ってみて、はじめてここは古い歴史ある都会であるのをしみじみ心に覚えた。集まってきた土地の名士の人々にも、なかなか迫らぬ人柄が備わっている。
昼食後、朝鮮唯一であるという平壤の妓生学校へ案内された。赤煉瓦造りの小さい建物であるが、大同江に臨んでいて、優れた眺めが軒下に連なっている。学校の職員の斡旋でこの学校の三年生の、舞踊を見せてくれた。最初幕があがると、美しい四人の生徒妓生が淡紅色の長い袖に、長い裳《も》の衣をつけ、頭に花笠のような笠をかぶって、両の手に短剣を持ち、腰はしなやかに、両脚を細《こま》やかになよなよと踊りだすのである。踊りに伴って鳴る楽器が春にふさわしい閑雅な音をただよわす。胡弓《こきゅう》、長鼓、太胡、笛、笙《しょう》の五器がそれぞれの響きを悠揚《ゆうよう》な律に調和させて大同江の流れの上へ、響いて行くのである。これは、剣舞といって、朝鮮の王朝時代から伝わった古い伝統を持つ踊りである。次は二人の妓生が僧舞というのを舞った。これも優雅なものである。
長鼓は、内地の鼓《つつみ》に似てそれよりも大きく長く、右手に棒を持ち左手は指で打つのであるが、楽器の柄の大きさとは反対に複雑な音を出す。胡弓の音がよかった。綿々《めんめん》として哀調を、舞う妓生の袖に送っている。
舞踏が終わると一人の老妓生が事務室へ現われて席画を始めた。竹と蘭を描いた。絵はさほどうまいとは思わなかったが、女がしかも日本でいえば芸妓が、墨の濃淡こまやかに筆を運んでゆくことに、ただ感心して見たのであった。
それから牡丹台へ行った。標高僅かに三百尺位の牡丹台であるが、一番高いところに登ると、四方へ闊達《かったつ》に開けた大同江平野が一眸《いちぼう》のもとにあった。
大同江が東北の遠い山の間から流れて帯のようにくねって曲がり、下流は悠々と流れて霞の中に消えている。折りから雨はれて、水蒸気が霞か靄に変わったのであろう。果てしない大陸の平野は夢のように淡く続いている。朝鮮の霞だ。京城では、大陸へきたという感は起こらなかったがこの牡丹台から眺める雄大な景観に接して、はじめて遠い国に旅してきたという思いを催したのである。
玄武門も見た。大きな門ではなかったが、昔子供時代に原田重吉がこの門を乗り越える木版画を見たのを思い起こして、ある感慨に打たれた。
ゆるやかに流れる大同江の水上に、画舫《がほう》がいくつも浮いている。牡丹台の岸にれんげが咲き始めた。
山の中腹にある平壤博物館へ行った。既に時間が過ぎて閉門したのであったが、遠来の客とあって館長が特に案内して中を見せてくれた。楽浪《らくろう》の遺物が大部分を占めている。二千余年前の朝鮮にこんな文明があったのかと思って驚嘆したのである。漆器美術の巧緻《こうち》なことは、我々芸術を解せぬ者にも、当時の人の雅趣が思われたのだ。楽浪の墓陵を移して再現したものも見た。構成の偉大な、調度の配置の美術的な、何事か朝鮮の昔がしのばれる。棺に納まっている婦人のは、骸は既に風水に解けて容は止めなかったけれど、絹物の衣類調度と、胸の宝石貴金が昔のままに残っていた。
夜の歓迎会は、お牧の茶屋というので開かれた。この眺望は恐ろしく大きかった。大同江を真っ直ぐに下流に見下ろして、既に陽《ひ》が落ちた薄暮のうちに対岸の平野を黙々と飾る灯と、牡丹台の崖にちらつく灯が相対して、ほんとうに幽遠を思わしめたのである。
宴席に、六、七人の妓生が現われた。二十二、三歳から五、六歳になっているから、妓生学校を卒業してからもう七、八年は過ぎた人達であろう。甚だものなれている。
真白、淡紅、薄紫、黄などいろいろの上着の下に、長い裳をつけてなよなよとしていた。いずれも五尺二寸以上の上背があって最も高いのは五尺三寸あるという。そして姿態がやわらかく、四肢がのびのびとしているから物腰に無理なところがない。婉美《えんび》というのはこういう女達を指すのではないかと思う。
中でも崔明洙、韓晶玉というのが、美声の持主であった。内地の芸妓の唄う歌をなんでも唄った。この色と艶と弾力、それをこれほどまでに錬磨した声は、内地の芸妓にも少ないと思った。安来節《やすきぶ
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